科学研究へのリソース投入というのは、総数が分からないくじ引きとか、株式投資の銘柄選びのようなもので。どれが当たりとなるか、当たる確率ってのは、判断は不可能に近いのですよね。宝くじ売り場で「当たりそうなくじを下さい」と頼んでも笑われるのと同じです(°ω°)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月6日
もっとも、宝くじ売り場ですでに抽選済みの外れくじを売ろうとするペテンや、未公開株の上場周りの詐欺師などは論外ですが。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月6日
基礎研究云々の問題は......そうですね。「畑は耕して水はけを良くして肥料で整備しないと、作物は育たないですよね」と表現すれば分かりやすいかしら。「荒れ地にそのまま種を蒔いて、どれだけの作物が取れますか?」(°ω°)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月6日
基礎研究にはバラマキが必要というのは目標も見えていない・これから何をするかわからない若者に手厚い基礎配分を保障すべきだという意味で、十年査読論文書いてないとか四十過ぎて単著もない年寄りに小遣い配れって意味じゃないから(にこやかに)。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2016年10月4日
(なお基準は分野ごとに適宜修正してください)
趣味の世界でも基本となる部分は実のところ軽んじられることが多く、それ故に初心者がはじめの一歩を踏み出しにくかったり、未知の人が理解をしがたいなんてことはよくある。ガイドブックでもその部分を懇切ていねいに説明しているのは、実は多くない。書き手側が「これは知っていて当然だろう」という部分、暗黙の了解の領域に関して、説明を省いてしまうからだ。
でも、だからこそ、その基礎部分は大切。科学技術の点でもまったくその原則は変わらない。先日の豊洲事案の某調査隊の行動にしても、「安全が危険かが分からない場所に軽装で足を運ぶのは言語道断」「採取したサンプルをジャムのビンに居れるとは」「サンプルを鼻を直接近づけてにおいをかぐなんて」などとのツッコミがあったけど、まさなそんな感じ。
そう考えると、基礎研究部分など、土台となる部分、基本の部分をしっかりやらねばならないってのは、畑仕事ならよさそうな場所を選んで畑を耕し整備することに他ならない。それをやらずしていきなり地面に種を蒔いて、どれだけの作物が取れるかな、と(自然任せという農法ならそれでもいいんだけど)。
同時に指摘している通り、基礎にはしっかりとサポートを的な話をすると、必ず山師やら詐欺師的なものがぞろぞろやってくるので、それを逐次叩く必要もある。整備した畑に虫がやってきたり、ソバが生えてきたりするようなものだな。
そして科学そのものも、結局農作業と同じで、必ず上手くいくとは限らない。それでもたくさん整備すれば、全滅することは無く、相応の収穫を得ることがかなう。蒔かぬ種は生えぬ、というやつだ。
社会主義思想ってのは、「最適化した計画なら最短で共産主義社会(資源は無限)を実現できる」というのがスローガンなんだよね。資本主義を行き当たりばったりとして見ていた。実際には最適化された計画なんてものが存在しなかったから破たんした。まあ、スローガン自体が独裁者の言い訳なんだが。
— 白瀬*慧^=0x30; (@ShiraseA) 2016年10月6日
だから、有名な科学者たちが口をそろえて「基礎科学に金を出せ、無駄を許せ、結果が育つのに時間をかけろ」というのは、そういう最適化された計画なんてないという歴史から学んだことなんだけど、なぜか政治家はそれを無視して、最適化された科学計画(選択と集中)に邁進しようとする。
— 白瀬*慧^=0x30; (@ShiraseA) 2016年10月6日
まあなんだ、選択と集中は民間が競争のルールの下でやるべきで、知識体系のインフラを期待されている国家機関がやるべきじゃない、ってだけなんだけどね。そうでなきゃ社会全体から金を集める意味がない。
— 白瀬*慧^=0x30; (@ShiraseA) 2016年10月6日
民間:限られた資本を目先の利益を得るために研究を選択しそれに資金を集中する。ただし、競争の原理により、選択が分散されることを期待される。公的機関:社会から託された資金で民間でできないことを補完する。また知識をプールし必要に応じて提供する。
— 白瀬*慧^=0x30; (@ShiraseA) 2016年10月6日
つまりは新自由経済主義以降、なぜか公的機関が民間のやることの真似事を始めちゃったってことだよね。そこを是正するのが今の政治家の仕事じゃないのかなあ。民間もバブルの頃に手を広げすぎて目も当てられない惨状になったから、手を広げすぎたらやけどすると思ったのか。羹に懲りて膾を吹く。
— 白瀬*慧^=0x30; (@ShiraseA) 2016年10月6日
「はじめからもうけが出るのが分かってるのなら、民間に下してもよいよね」「もうけが出るか出ないかわからないけど、将来的に必要になるかも。そして中長期でないと判断は難しい」「もうけは出ないけど社会のために必要なもの」は国が成すべきで、それをしてもらうために税金を支払う次第で。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月6日
@shirasea @fuwarin 結果主義重視に加え、政治的欲求のための選択と集中の下で研究に邁進する韓国や中国から自然科学分野の受賞者が出てないことを考えれば解りそうなもんなんですが、残念です。政治家はあっちのやり方が好きなんでしょうか?
— Roki (@Azeal_Roki) 2016年10月6日
初めからちゃんと芽が出て育ち実がなる種を植えればよい。それができればよいのだけど、農業ですら確率論的に高いものを用意するのが精いっぱいなのに、科学方面ではそれは難しい。中世の冒険旅行のようなもので、必ず成功する新世界の発見、お宝の確保などありはしない。
指摘の通り、計画経済的なものは、特に新規開発の観点では通用しない。ありえるとすれば、リソースを大量投入すれば成功する可能性が高くなること。さいころをたくさん振ればぞろ目が出やすくなるという理屈と同じ。社会主義では「3回振れば必ずぞろ目が出る」的な計画を立案したから、上手くいかなかった。
そして民間と国家の立ち位置の違いを明確化、再認識しておく必要もある。成功する、新発見を見出せる可能性が高い、儲けが出るのが確実ならば、民間に任せればよい。儲けが出るかいなか分からない、とにかく種を蒔く必要がある。そして儲けは出ないかもしれないけど(金銭的な対価は期待できないけれど)、社会の安寧と発展に貢献し、他の技術や社会構造に大きな恩恵をもたらすものは、国が成すべき。「儲けは出ないけどプラスになるものを国にやってもらう」ためにこそ、税金は存在している。警察機構とか防衛関連が好例だね。
産業革命のころ「役にたつ研究」といえば蒸気機関の改良であって、当時、電気の研究は「何の役にもたたない」だったことは、誰もが記憶しておくべきことです。さて、ではいま「何の役に立つのですか」と問えますか。また、他国で発見・発明されたものの導入と改善だけでやっていけると思いますか。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年10月6日
あとはこの辺りかな。役に立つ、具体的には社会的貢献を果たし、国に利益をもたらし、経済的にプラスと成すか否かってのは、研究当時には判断ができないケースも多い。また、研究当時には役立たずでも、のちの世になって環境が変わり、その時に大いに役立つってことも多々ある。
上で言及しているけど、必ず芽が出てたくさんの実がなる種だと分からない以上、より多くの種を蒔いて育てるしかないんだよね。
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