タモリ倶楽部の漢文学者の元教授、何かの書籍に60万の熟語が集めてある、に「先生はその60万全てをご存じなのですね?」と聞かれ、「知っているわけがない」と強く返す。そして付け加えた。「知識でしゃべる人は専門家じゃない。調べ方をちゃんと知っているか知っていないかが専門家」だそうです。
— 三年B組雄府箱先生 (@HiroIshiwata1) 2016年9月19日
これですね。先生が厳しくて面白い。https://t.co/1F4BNMXnJQ
— 三年B組雄府箱先生 (@HiroIshiwata1) 2016年9月19日
知識でしゃべることが専門家であることを打ち消すとは思わないが、何を調べれば答え、または考え方が見つけられると知っていることは重要なんだよね。
— 三年B組雄府箱先生 (@HiroIshiwata1) 2016年9月19日
職業を告げたとき「じゃあ、英語ペラペラなんですね?」は最多FAQだけど、「辞書なしで何でも訳せるんですね?」もFAQ。訳せません(´ω`) 辞書で意味を調べることももちろんありますが、「よし、こういうふうに訳しても大丈夫ね」という確認のために引くことが多いです。四六時中引きます。
— 葛葉(レオポン㌠推し) (@Cuznoha) 2016年10月7日
これは指摘された時に、あー、なるほど確かにそれは言えるかもと納得させられた。そして例の国会クイズ的なやりとりの理不尽さとか、突然質問されて応対の上で間違いがあるとそれをフルボッコに叩いていく界隈への違和感がいくぶん解けた。
確かに完ぺきな記憶能力を有していてしかもそれが巧みに検索能力とリンクし、即時にするりと回答が出せるようなデータベース化されているほどの能力を持っているのなら、語りのみで専門家を自称する資格はある。威張ったっていい。でもそれってほとんどの人には無理で、よくテレビや漫画などで出てくるシーン、専門家が質問されて「それはここに出ているね」と後ろの本棚にずらりと並べられた専門書からすっと特定の一冊を引っ張り出してきて見せるような、そんな能力......インデックス能力とサーチ能力とでも呼ぶべきか......が必要なのではないかな、と。
こういうふうに訳しても大丈夫かなという確認のために辞書を引く、という感覚は共感してもらえないことが多いのですが、たとえば、"risk"を引いてこういう訳を導き出します。これも、言うと驚かれることが多いのですが、「辞書にある訳語をそのまま使えることは、さほど多くありません」。 https://t.co/qDMNICSCPh
— 葛葉(レオポン㌠推し) (@Cuznoha) 2016年10月7日
ドラえもんの「ひみつどうぐ」の一つ「暗記パン」みたいなものがあればいいんだけど、そんなものは実際にはありはしない。分からないことは辞書で引き、確認し、自分の経験則や記憶、そしてさらに調べたあれこれのパターンを組み合わせて、解を導き出していく。その手順にこなれていたり、経験が豊富だったりするからこそ、専門家たりえる。
専門家というよりは、匠と表現した方が分かりやすいのかもしれないな。
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