真面目な話するとですね。
— KGN (@KGN_works) 2016年10月9日
両親の実家の倉見れば判る(母方は江戸時代中期に火災でいったん焼失したそうですが)んだけど、「物って残る」んです。100年200年くらいは普通に残るし読める。
当時の書籍も普通に手に取れる。
紙に印刷した情報の堅牢性を考えたら、完全電子化はまだ無理。
情報の保存性に関してはインターネットの普及浸透で、蓄積と再精査が可能になり、大いに質が変化した、なので報道界隈が頭を色々な意味で抱えているという話は先日触れた。で、その一方でネット上の情報があまりにも......というよりは元々情報の量そのものはそんなものなのだけど、人間が容易に扱える領域が広がったのに対し、人間そのものはさほど進化していないので、手が届きにくくなってしまった感はある。一般書籍の電子書籍化、紙レベルの資料のデジタル化が進んでいないのを見ると、その辺はつくづくそう思う(総務省のデータベースe-statの中身の多分が前世紀末や今世紀初頭からしかないのは、多分にそれが原因。デジタル化が追いつかない&リソースが足りない)。
一方で、デジタル化されたデータの原本ってのは、実は容易に喪失しうる。先日当方の作業端末をVistaからWin10に入れ替えたのはすでに記事にした通りだけど、その際にも「コピーなり転送し忘れていたら、そのデータは当方の領域では無かったものになってしまうのだろうなあ」と思ったりした。また手元に多分のMOなどへ保存してあるデータも、将来において再生してデータ化しておかないと、喪失してしまうことになる。今となっては結構貴重なデータもあるはずなんだよね。
やりとりが容易なだけに、逆に失われやすい。デジタルの情報ってのは、実のところそれが盲点だったりする。その点、紙の書籍などは案外残っている(紙の材質の問題も多分にあるのだけどね......実は)。その意味で、以前も言及したけど、複数の選択手段で情報は保全しておくべきだなとは思う。無論、ハードディスク内のすべてのデータをプリントアウトしろ、とはいわないけれど。
これだけ大量に印刷物が作られてても、100年後200年後に残る「大衆の普通の読みもの」ってわずかですよ。
— KGN (@KGN_works) 2016年10月9日
未来の、今の時代を知りたいと思う誰かのために情報を残す事を考えたら、紙で残しておいてやりたいですね。
少なくとも、私の生きてる間は(遺産相続人がどうしようとも私は知らん)
どんなに忠実に内容を残しても、電子化すると失われる情報、ってのもあるんですわ。紙質とかインクの成分とかにじみ具合とか。えてしてそういうものほど後世の学者さんが欲しがる情報だったり。
— ミヤマオウム (@MiyamaOhmu) 2016年10月9日
ところでさ、100年って大げさだと思う人もいるだろうけど、大正時代なんだよね(大正5年かな)。
— KGN (@KGN_works) 2016年10月9日
古本に限らず、食器や家具でも普通にお目にかかる古さです。
大した時間じゃないんだよ。
でも『現在の』電子データが次の100年を生き延びてくれるかどうか判らないので、電子化は避けたい。
加えて、物理的な存在だからこそ残せるものも多い。例えば指摘にある、紙の質とか。テレビ番組を録画しておいたら、番組そのものではなく、合間合間に放送されているCMの方が貴重な資料になった、的な感じかな。
まぁ、電子化を避けるのではなく、電子化のみは避けたいという感じ。併用が一番ローリスク。どこぞのSFのように、謎の宇宙線が降り注いで、デジタルデータがすべて失われるなんてことは無いだろうけど。
お寺業界でも、300年前くらいの仏像とかが「そんなに古くない」程度の認識ですね。500年超えてくると「おっ」てなって、700年とか行くと「やるじゃん」とかの認識。
— 千手院 (@senjuin1010) 2016年10月9日
あと、最強のデータ保存媒体は「石」。 https://t.co/rSYLWo2xp2
だが砂岩・凝灰岩、貴様はダメだ。加工しやすいのはすごく同意するが、100年で文字が読めなくなる。150年超えるともげる。200年くらいたつと何だったか解らない石の集まりになる。 https://t.co/UudGquIMYb
— 千手院 (@senjuin1010) 2016年10月9日
石板がある意味一番長期間保全できる素材であるとのネタは以前もした通り。チタン合金に彫り込むとかいうのも考えてみたけど、それでは普通の人には使いようが無い。パイオニア探査機に乗せた金属板のような仕様にするのもありかな......とか。
まぁ、ともかく。情報の長期保全については、もっと色々と論議されても良いと思うのだな。
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