他の人も言ってたけど、自殺を思い留まる理由に『連載作品の続きが気になるから』というのも結構あるみたいね。「来週の続きを読むまで、あと1週間だけ生きてみよう」って引き延ばしてるうちに、なんとか死なずに済んだって話を職員の子からも聞いた。連載作家さんは、多くの命を救ってるのかもね。
— コージ (@kouji78) 2016年10月9日
直接引用はしないけれど、先日の電通の過労死に絡んで、自ら命を絶つ衝動に駆られるのは、蓄積された未遂的行動の末以外に、内部的な蓄積やベクトル的には異なる力が働いていて、それが何らかのきっかけで(個人的にはまさに「魔が差した」という感じで表現できると思う)体現化する、それが最適解のように誤認してしまうという事例もあるとの話を目にし、ああなるほどと納得してしまった。
他方、その「魔が差す」をとどまらせる歯止めとなるものも、人によりけりではあるのだけど、第三者から見れば他愛もないものであることも多いのだろうなあ、という指摘もあった。これもまた、十分に納得のいく話。
あの連載の結末を知りたい、今後どうなっていくのかとても気になる。日常生活の中の願望としては大したものではないのかもしれないけれど、それが自分にとっての最後のフックとなっているのかもしれない。
太宰治の作品の一つ「葉」の冒頭に、こんな語りがある(【青空文庫「葉」より】)。
本当に他愛もない話ではあるのだけど、だからこそ、支えになっているのかもしれない。
前の上司が言ってた事をふと思い出した。「社会人になったら最低週に一回は定期的に行う趣味が必要。そして、時間的理由にしろ精神的理由にしろ、その趣味の継続が難しくなった時が、その仕事の『辞め時』」との事だった。社会人にとっての趣味は、自分を見失っていないかを確認する物差しなんだそうな
— コージ (@kouji78) 2016年10月9日
支えといえばこんな話もある。これもまたよく分かる。自分にとっての趣味は自分自身に没頭できる、自分が好きだと思える時間を過ごせるものであり、俗世との隔離された時空の確保に他ならない。禅を組んでいる時間と似たようなもの。それを成しえることができないような多忙さ、あるいは精神的・時間的・金銭的な切迫感を覚えたら、その仕事においては自分は無理をしているとのフラグになる。
「社会人にとっての趣味は、自分を見失っていないかを確認する物差し」。仰々しいと思うかもしれないけど、金言であることにも違いない。
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