「OL進化論」もはじめの頃の話は今から読むと非常識の塊だ的な指摘もあり、常識観念のスピード感あふれる変化、環境の移り変わりを改めて知る次第です。「気まぐれコンセプト」は広告業界のノリが多分にあるらしいので、もっと「これは無い」感が強いのでしょう。手元に資料としてあったかな??
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月12日
@Fuwarin 気まコンの内輪ネタは幾らなんでも話盛り過ぎだろうと思ってた時期がありました。中小広告業の中の人の話を聞くまでは(苦笑
— きんぎんすなご@岩手県南内陸部 (@kinginsunago) 2016年10月12日
先日の「生存者バイアスによる経済界トップの妄言と島耕作から見た環境の変化」的な話でちらりと触れた、「OL進化論」の話。気になっていくつか精査したところ、全部がというわけじゃないけど、確かに今から読むと「これはどうよ」的なものが見受けられる。病院や銀行ではその類の単行本がずらりと並んでいて、時間があれば目を通しているのだけど、やはり違和感を覚えたよなあ、と。「三丁目の夕日」シリーズも近しいものがあったけど、あれはあれでちゃんと「当時は云々」という説明がなされていたので、客観的な読み方ができるので、良い作品には違いない。
広告代理店周りのネタを集めた「気まぐれコンセプト」は、その最たるもので、恐らくは時間の経過とともに感じる違和感がもりもりあるのだろう......というか、当時ですら感じていたのだから。そしてそれが多分に膨らませたネタではなく、実在した話だったりするから、冷や汗がリットル単位で出てくる。当方も以前の職における飲み会で、間接的にあれと同じような話を聞いていたから、リアリティはあるのだよね。
それこそ「こち亀」なんか数十年後に(というか現在でもすでに資料として)。 RT @Fuwarin: 長期連載されている、日常系、通常社会系の漫画は、その掲載時期における社会文化を知る良い材料になるのですね......とあらためて。
— 寒い坊主 (@361110_KK3SCMT) 2016年10月12日
で、以前から何度か、日常系の漫画や小説は、書かれた時代の社会風俗を比較的わかりやすい形で描写する良い資料になることを言及している。携帯電話の利用の移り変わりが好例。現代をテーマにした作品で、ギャップのある描写をすると、違和感を覚えてしまい編集からチェックが入るので、下手なことは描けないから。例えば現代をテーマにした作品で、街中にちょんまげをした人がたくさん行き来していたら(SFとか銀魂のような話でない限り)リテイクを食らうことになる。そんな人は今はいない、ってね。
その観点では先日終わった「こち亀」は良い資料になるし、それに類する作品がちょっと見当たらないのは残念な話かなあ、という気はする。比較的長いスパンで続いている作品を逐次抽出して、断片的な形のつなぎ合わせで資料として保全するしかないのかな。
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