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— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年10月15日
昨日からなんかこれが引っかかってたが、やっとこれが「青菜は男に見せるな」の類だとわかった。変に発電方法に種類があるって知ったから、こういう奴が出てくるんだ。
トリガーとなったお話そのものはトゥギャッターのまとめの内容を、つづられているコメントと併せて読んでもらうとして。発電周りや放射線周りではしばしば生じる「こんなものがあるといいなあ」が「こんなものがあるかも」となり「こんなものが将来できる」「こんなものができるかもしれない」、そして「こんなものが(今現在)あるのだから使わないのは政府の、社会の陰謀だ」的なものになってしまうというもの。
願望・希望・妄想がいつの間にか将来の可能性、そして現在すでに実用化されているものへとさし変わってしまう。夢の体現化を目指す動きは称賛すべきだけど、それをすでにできているものとして記憶を差し替え、それをあおり叩きに用い、間違いを指摘されると逆切れするのは大人の所業ではない。いや、子供でもダメだ。
で、この類の話のトリガーとしてよくあるのが、指摘されている「余計な情報に触れると、要らぬトラブルが生じるきっかけとなる」というもの。
「青菜は男に見せるな」は、青菜みたいなものは調理すると嵩が減るので、料理しない男が見ると「嫁が隠れて食ってんじゃないか」的な疑いを抱くから見せないようにしようね、っていう諺。男に限らず知識がない者に餘計なものを見せない方がトラブルが少ないよって話。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年10月15日
「男子厨房に入らず」のオリジナルは『孟子』の「君子庖厨を遠ざく也」なんだけども、これも君子が屠殺される牛や豚なんか見ると可哀想になってメシ食えなくなって働けなくなるから厨房に近寄るな、っていう意味。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年10月15日
餘計なこと見られたり知られたりすると面倒くせぇのが湧いてくるっていうのは大昔からずっとある問題で、また餘計なこと見たり知ったりすると見たり知ったりした本人も不愉快なことしんどいことが増えるから、賢い人は餘計なことを見たり知ったりしようとしちゃイカンのだよ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年10月15日
科学や技術の話になると、自分は文系だから、みたいな逃げを打つ人がいるけど、文系だったらこの程度の諺や警句の一つも知っとけやボケ、と思う。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年10月15日
要旨はほぼまとめられているけど、情報の取得は時として要らぬ行動のきっかけとなり、本人だけでなく周囲も不幸にしてしまうというもの。まぁ、そこに「生兵法は大けがのもと」が加わって加速化するという感じかなあ。自分の手の届く範囲で、限りのことを成すのが最優先事項。色々と交じっているけど、これがベターな気がする。ひとが投入できるリソースは限られているからね。
ただ昨今は先日の都内での停電事故や豊洲市場事案が好例だけど、下手にその辺りの情報開示を調整していると、情報隠蔽だのなんだとと騒ぎが生じる。そして中途半端な「面倒くせぇ」のが湧いてくる......って、本来正しい情報を伝えねばならない報道や「専門家」がその先陣を切って「面倒くせぇ」界隈になっているんだよな、思い返してみると。これはいったいどういうことなんだろうか。
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