豊洲新市場(地下たまり水)と築地市場(濾過海水)、独自調査では双方から環境基準値を超える汚染物質が検出も...? https://t.co/YE5I9jnL4U
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月17日
豊洲周りで風評被害の懸念の話がありますが、これが起きるとなると、それ以上の風評(!?)被害が築地に起きる可能性は極めて高い。そう判断しておくのが道理でしょう。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月17日
ここで確認しておきますが。風評被害は「起きる」ものではなく、「起こす・起こされる」ものです。起こす側は加害者であり、防止のためには加害側への責を厳しく追及することが、何より大切だと思うのです。さもなくば起こす側は学習し、何度でも繰り返し、美味しく不当な蜜を手にするでしょう。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月17日
「風評被害」という言葉自体は随分と昔から存在したのだけど、インターネットの普及浸透と大規模な被害が生じるきっかけがあったということで、一番の好例になるであろうのが、震災周りの話。それと似たような、パターンとしてはほぼ同じものが、東京の豊洲市場周りで起きている。報道が率先して被害を拡大している構造まで同じだから始末が負えない(知識が無いから間違っても仕方ないよね、てへぺろ、を最大限に悪用している)。
そして「風評被害」なる言葉が用いられるたびに、被害を受ける側にスポットライトが当たるけれど、災害をはじめとした自然の成しえる結果による被害ではなく、風評を起こす側の所業の結果によるものであることは、ほとんど注目されていない。あるいは意図的にしていないのか。
風評被害は天変地異のように「起きる」ものではなく、特定の界隈によって起こす、結果としてかの人たちによって起こされるもの。情報が二次的、三次的に広がり、責任が薄らいでしまうけれど、火を起こした、燃える材料を用意した一次原因となるものは存在する。その対象への相応の対処を成さない限り、「風評被害」はいくらでも、何度でも繰り返される。
指摘している通り、風評被害で直接、間接的に利益を手に入れる界隈が、風評被害を起こすケースは多々ある。その際に、「火元を絶ち消火する」対応をしない限り、その界隈は「美味しい結果」を手に入れたと学習し、何度でも繰り替えすことになる。
ここで改めて「風評加害」というワードを思いだすべき。
— 加藤AZUKI【恐怖箱 酔怪】 (@azukiglg) 2016年10月17日
加害者無き被害は存在せず、風評加害者は「逮捕されないから加害行為を自覚できず、【必要以上の懸念】を【社会正義】であると置き換えていて、加害行為だと思ってない」ってとこが問題大きい。
「風評被害」っていうと「被害者」ばかりがクローズアップされがちだけど、これはイジメとかと同じで「可哀想な被害者への同情」より「無意識の加害者に、加害意識を自覚させる」ってやんないと、「社会正義に根ざしたつもりの風評加害者」の増加を阻止できないと思う。
— 加藤AZUKI【恐怖箱 酔怪】 (@azukiglg) 2016年10月17日
なので「風評被害を生む」ではなく、「風評加害をやめろ」と積極的に使っていきたい。
— 加藤AZUKI【恐怖箱 酔怪】 (@azukiglg) 2016年10月17日
先の震災での教訓のひとつだし。
— 加藤AZUKI【恐怖箱 酔怪】 (@azukiglg) 2016年10月17日
「風評被害」は起きてしまうものではなく起こされるものとの観点で見れば、「風評加害」なる言葉をしっかりと認識させ、行使させる必要がある。造語感は強いけれど、筋は通っているし納得もいく。
「風評加害」なる言い回しとその概念。色々と当てはまる事例もありそうなだけに、しっかりと覚えおきたいところだ。
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