文字おこし風的記事でも切り貼り編集をして意図を変える「報道」に存在意義はあるのか

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詳しくはトゥギャッターでまとめられているツイート群で確認してほしいし、語られている対象の騒動そのものは今回はさておくとして。朝日新聞による記者会見における文字おこし(と解釈できる)記事に関して、このような指摘が。記事を読む限りではこれが記者会見の文字おこし全文のように見えるけど、会見そのものの配信動画を元に起こされた文字おこし文と比較すると、巧みにあちこちが省略され、記事でアピールしたい方向に読めてしまうものとなっている。記事タイトルも合わせ。

文字おこしといっても、例えば明らかに間違った言い回しなら訂正はなされる場合があるし(あるいは注釈が加わる)、言い回しとして「えーと」「あのー」「んーと」といった類のものは省略される。これは必要な編集ではある。しかし今件の指摘の限りでは、朝日新聞の記事はそれをはるかに凌駕している。

また、文字量が足りない、時間がないのであれば、ざっくりと全般、あるいは一部分をまとめて取り除かれねばならないけれど、今件では書き手側の主張が通りやすいと考えられる部分が抽出されている。これでは文字おこしでもなんでもない。


指摘の通り、朝日新聞の今記事は「文字おこしだから語られた内容の全文であるし、そこに書かれていることは語り手の主旨だな、間違いないものだな」との誤認を読み手に起こさせるもの。この類のものは無意識に、単純ミスでできるものではなく、意図的でないと実行不可能。しかも今件だけでなく、過去にも行われていることから、多分に日常茶飯事的に繰り返されていることは容易に理解できる。

「文字起こし」の記事でこれをやられてしまうと、非常に困ってしまうというのが本音ではある。起こし記事ですら意図的な編集がなされた記事であるとの認識をせざるを得ず、信ぴょう性がゼロになってしまう。文字おこしでも「一次動画が無ければ信頼はできない」となる。さらにはその動画ですら、編集や意図的な音の削除・編集がなされているかまで検証しなければいけなくなる。暗黙の了解のうちに信頼できる領域に、その信頼を悪用して色々とやらかしをしてしまうと、皆が不幸になり、手間が増えてくる。

朝日新聞としては「文字おこしって書いてないから別にいいじゃん」「全文って書いてないから間違ってないじゃん」との思惑なのだろう。そのような考えを体現化し、記事としてしたため、世論誘導的なことを繰り返すからこそ、報道としての、新聞としての存在意義が無い、非難される。そしてその事実を絶望的なまでに理解していない。

新聞などのメディアにとり、情報は商品。品質的に問題のある商品の提供を繰り返し、その事案に反省することもなく、同じことを繰り返す。商品の需要が落ちて売り上げが落ち込むのも当然の話。インターネットの普及がどうとか、少子化がこうとかというレベルの問題ではない。

例の二つの吉田問題とそれを受けて開かれた第三者委員会、その決定などに伴う各種措置と反省。これらはいったいどこにいったのだろうか。やはり新聞にもストレステストと、それをクリアするまでの間、発行停止処分は必要ではないだろうか。社会全体に大きなマイナスの影響を及ぼすことに違いは無いのだから。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月22日 07:46に書いた記事です。

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