ドラマの美術スタッフには、コンピュータ書体の看板に囲まれて育った人も増えているはず。そうした人々は、昭和以前の看板がコンピュータのフォントになってる不自然さが、皮膚感覚では分からないかも。でも、手書きとフォントでは空気がまるで違います。ドラマでは使い分けていただきたいのです。 pic.twitter.com/ouNduou3qV
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年10月23日
先日某ドラマに関する感想で、コンピュータによる字体が用いられていて、事態設定的にはおかしいのではないか、ちょっと興ざめしちゃったよねといった話が目に留まり、それと関連する形でたまたま出てきた(あるいは連動したものかな)指摘。
用は似たようなフォントでも、手書きによるものと、コンピュータによるフォントでは多分に見た目が異なるので、見る人が見ると興ざめしてしまう、一気に現実に引き戻されてしまうので配慮が必要だよ、というもの。時代劇に電信柱が出てきたとか、飛行機雲が浮かんでいたとか、そんな感じ。
毛筆堪能者ってどういう事?と聞かれましたらば、こういう事ですよと言いたき見本でもございます。
— 株式会社石井マーク (@ishiimark_sign) 2016年10月23日
いわゆる手書き風フォントではこう した美しいリズムまでも再現する事がなかなか難しく、縦組みの場合など特に思います。
アラビア数字からラテン文字の例に至るまで、堪能とはこういう事なのかと。 https://t.co/bCkpIEtMAr
リズムというかつながりというか躍動感というか。積み木で作った人物像と、粘土で作ったものとの違い的な。先日紹介した音声合成のサービスでも、単語単語、あるいは文字単位での発生のつながり、抑揚の部分で違和感があるといったけど、まさにそんな感じ。
認識させたい言葉を表現するだけなら問題は無いのだけどね。より自然に、よりそれらしく見せるのには、まだまだ超えねばならないハードルは多々あるってことだな。ただ見方を変えれば、その辺りをどうにかするロジックが生み出されていけば、将来的にはこの「自然っぽい字体、発声」もできるようになるかもしれない。
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