人が足りない、いい人がいないという声が漏れ聞こえることもあるが、「優秀な人は常に一定数以上いる。報酬が低すぎて/制約が多すぎて相手にされていない」ということだと思っている。ものすご~く遠回しにそう伝えると、ものすご~く遠回しに「上げられない/条件は客の言いなりだ」と言われるけど。
— 葛葉(レオポン㌠推し) (@Cuznoha) 2016年10月29日
「いい人」は「費用が安くていい人」で そんな都合のいい人 いません
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月29日
この類の話をすると「すべてがすべてそうとも言い切れない」と反論してくるのが世の常で、それはそれでしっかりと分かっているので慌てるのではないぞよ、今回例示したケースが多分にあるというだけで、100%フルスロットル確実にこれだけってわけではないのだぞ、とした上で。
「人材不足」「いい人がいない」との声には多分に、その人材やいい人の意味するところに、低コストで言うことを聞いてくれる、コスト面で都合のいい人を意味していたりする。で、その点を指摘すると「費用が足りないから仕方がない」「自分達だってコストを切り詰められているから駄目だ」という、責任の転換が返ってくる。
これは常識と言えばそれまでなのだけど、対価ってのは相手を評価する大きな物差しであり、指標でもある。安い価格を値付けられたら、商品を提供しようとしている人は「自分の商品にはこれほどの価値しかないと、相手は見ているのだろう」と認識するのが普通。「だって自分らはこれしか持っていない、出せないから」ってのは相手の事情であり、作り手側、商品の提示側には関係が無い。
時折、お金の代わりに何らかの価値がありそうなものを提示したり、社会的意義を押し付けて対価の面をごまかそうとする筋もある。「社会貢献ですので」「世の中に役立つから」「良い事ですので」。でもそれを判断するのは貴方たちではないのだよ、と。
力量のある人を安く買いたたこうとしたら、買いたたいた人自身は成果を挙げられるかもしれない。大いに利潤が出る、経費以上の成果を上げたと評価されるだろう。しかし割を食った商品・サービスの提示側は、次からは応じてくれないだろうし、そのようなレートによる取引依頼が繰り返されれば、作り手側のモチベーションだけでなく、生活維持、作品の質の維持が難しくなり、仕事から離れる人も出てくるので、業界全体がさびれてしまう。儲けが出ない界隈からは人が離れていくもの。
ゴールドラッシュ、あるいは黒いダイヤと呼ばれた石炭の炭鉱が良い例で、鉱脈が枯れれば、まだ鉱石が残っていたとしても費用対効果で利益が出なくなれば、あっという間に人はその地から離れてしまう。
仕事相手でも趣味の世界でも、相手が良い仕事をしたと判断出来たら、評価できるものを創ったと実感したら、積極的に賛美し、相手に直接・間接を問わず対価投資をすること。これが重要。良い仕上がりを見せた仕事先には割増支払いをしたり労をねぎらったり、次の仕事を確約する、良い作品の作家にはアンケートに高評価をして単行本も買う。すべてが相手に仕事を継続させ、意欲を上乗せさせ、さらなる良いものを創る「かて」となる。儲けが出ると認識されれば、励みにもなるし、人材も集まり、業界は活性化する。高対価の提示は、業界の勢いの維持、さらなる人材の吸引力にもなる。
逆に評価をされない、対価を十分得られない。そのような状態が続けば、事業や作品の継続すら危ぶまれる。「この仕事をやってもご飯が食べられないから他の職に就こう」となれば、その人の作品は二度と世に現れなくなるかもしれない。趣味趣向で続けるケースもありうるけれど、それはそれなりにコスト面での裏付けができる人に限られてしまう。
自分にとって安上がりだから、利益を得られて評価されるから。それだけの理由で値切ったり買いたたく行為は、いわば食い逃げのようなもの。評価どころか蔑まれるべきではないかな、という気はする。
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