牛若丸三郎太のリゲインのCM「24時間戦えますか」が当時の就業状況を示す一つの資料的存在となっているのを見るに、吟遊詩人らがなぜ詩(うた)で物語るのかとか、民謡の生成過程を見ているようですらあり、非常に興味深いものが。 https://t.co/zT9FTvwc7o
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年11月2日
ブラック企業やらサービス残業やら若年層のなんちゃら離れやら世代間の金銭格差問題やらが出てくるたびに話題に登る、このリゲインのCMで用いられた牛若丸三郎太氏による「24時間戦えますか」。当方も確かブームが過ぎた随分と後に、こんな曲があったのだという話を耳にして資料がてらにCDを購入した記憶があるのだけど、書庫をひっくり返す必要があるのでそれはさておくとして。
今曲がバブル時代に流行ってたこともあるのだけど、その歌詞を読み返すと当時の状況が良くわかる内容となっている。バリバリ働く必要はあるけれど、その分ちゃんとした見返りは提供される。有給休暇はがっつりいただいて海外旅行でバカンス、羽伸ばし。必要な時にはリソースをどんどん投入して集中的に働いて、その分しっかりといただくべきものはいただいて、休みはちゃんと取る。曲の勇ましさと合わせ、タイトルからは仕事一本やり的な感もあるのだけど、その実、プライベートも充実している。ハレとケをしっかりと仕分けている次第。
バブルの時ってこんなノリだったのかな、的な。そりゃもちろん、無駄に過ぎた部分もあるけれど、成すべきことはちゃんと成して、分別がついていた部分もあったように解釈できる。というより、今の状況に合わせると、ひどい替え歌ができそうな気がする。24時間働いてその多分は対価も出ず、有給休暇は消費させてもらえず......すでにこんな感じの替え歌もネット上にはあるかもしれない。
それと共に、歌とか物語の力強さ、伝承能力の大きさを、ふと感じさせる。当時の記録は写真も新聞記事もテレビニュースも雑誌の切り抜きも相応にあるのだろうけど、当時における「当たり前」の話って、案外伝えられにくい。当たり前であるがゆえに、継続的な記録には残りにくく、容易に失われたり上書きされてしまう。だからこそ、何らかの形に姿を変え、伝えられていくものからさかのぼり、確認が必要となる。
吟遊詩人の詩での語りとか、民謡や童話などによる、ことばの力強さを改めて認識させられるのと共に、民謡的な、物語のようなものが生成される過程を今件「24時間戦えますか」の歌の歌詞へのとらえ方で見ているような感もある。
見方を変えれば、「24時間戦えますか」の歌詞に学ぶべきところ、現状と比較して正すべきところのチェックリストの生成なんてのも、有意義な部分はあるのだろうな。社会構造が大きく変化しており、そのまま適用ってのも難しいのだろうけど、少なくとも有給休暇の積極的な消費姿勢を成すとか、サービス残業的なものの撤廃(そもそも歌詞には出てこない)ってのは、大いに参考にすべきではある。
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