そーなのよ。ってか、「好きなこと」って言葉を特別視しすぎなんだよなあ>|実は「好きなこと」よりも「得意なこと」をするほうが、ずっと人生は楽しい。 https://t.co/h2gQ01i4J1
— 大槍葦人@マシンチャイルド製作中 (@oyariashito) 2016年11月13日
先日も糸井重里さんや任天堂の元社長の岩田聡さんの言及に絡めて、似たような話を取り上げたような気がするけど。「好きなこと」と「得意なこと」の仕切り分けと開き直り......というと言葉に語弊があるけど、悟り的なものは必要かな、と。得意なことを続けて人生が楽しくなるのであれば、それが好きなことにもなる気もする。
自分の得意なことって、自分にとって当たり前に出来ることな場合が多いので、案外自分には気がつきにくい。
— 大槍葦人@マシンチャイルド製作中 (@oyariashito) 2016年11月13日
他の人がうまくできないことを自分が普通にできるなら、それが自分の得意なことなんだけど、自分にとってはあたりまえだし、もっと上手く出来てもおかしくないくらいに思ってるからむしろ不得意に感じていたりする。
— 大槍葦人@マシンチャイルド製作中 (@oyariashito) 2016年11月13日
他人に「あれっ、なんでこんなこと出来ないの?」って思う時、実はすごい金脈掘り当ててるかもしれないわけです。
— 大槍葦人@マシンチャイルド製作中 (@oyariashito) 2016年11月13日
好きなことを10数年。毎日
— geek@akibablog (@akibablog) 2016年11月13日
案外「自分が得意なこと」ってのは、自分自身では分かりにくいもの。だからこそ、それに気が付いた時には、他人がなかなかでき難いのに自分がするりとできてしまうことが分かった時には、それこそ宝の地図を見つけた時のような対応をするべきだな、と。
ただこれって、指摘されている通り、自分にとっては当たり前の話なので、それが他人には難しいってことが分かりにくい。だからこそ、それを認識するために、普段からアンテナを張り巡らせておく必要があるし、可能ならば積極的に多数の人と接することが欠かせない。それだけ自分との違いを確認できる機会が得られるからね。
自分にとって「得意」なこと、でも他人にとっては「特異な」なこと。それをつかみ取ることができれば、よりよい人生を歩むチケットを手に入れたも同然なのかもしれないな。
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