「コピー ライティング」アカウントがまだ生きていただけでなく相変わらずパクツイを続けていることに驚きましたし、これだけ悪事が周知されてもなお、平気でそれをリツイートする人がいることにも驚きです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年11月15日
今件対象アカウントの所業は以前も紹介したけれど、他人のツイートをあたかも自分の発想であるかのようにパクってツイートする、いわゆるパクツイな方法論でフォロワーを集めている切り口の代表格。このたぐいのアカウントは探せばいくらでも出てくるのだけど、例えばこれが他人の物理的な創作物を盗んでコンテストに応募したり披露するとか、展示会の造形の写真を撮って「自分が作りました」と宣伝するとか、他人の投稿イラストを「自分が描きました」とアピールしてちやほやされたりグッズを作るのならすぐに「良くないこと」として非難される一方で、パクツイに関してはあまりそのような認識が成されていないのが不思議でならない。
で、上のツイートにある通り、「コピーライティング」のアカウントがいつの間にか運用を再開し、パクツイも相変わらず続けていた。一応いくつかには「byなんちゃら」的な一次作者の名前が表記されていることもあるけど、そこからマスターをたどるのは困難に等しいし、本質的にはやらかしていることは以前と同じ。
かつ、そのツイートを平気でリツイートしている人も結構いる......というか当方がそれに気が付いたのも、結構ツイッターをしている期間が長い人だったりするので、半ばあきれてしまう。
悪質系まとめサイトと同様、その手法が悪質でも不法でも、それが美味しい手立てで、かつ法的に裁かれることがなければ(違法と認定されない)、てへぺろーと反省したふりをしてて少し大人しくしてほとぼりをさまし、すぐに同じことを繰り返す。「コピーライティング」が活動を継続しているの実情は、それの良い事例ではある。
悪質系まとめサイトの管理人や「コピーライティング」の使い手がインタビューに答えていたこともあったけど、それらでは謝罪や反省の言がほんの少しでもあったとしても、まったく意味は無い。この類の界隈に、善意や倫理を求めること次第が間違っている。なぜならかの界隈はすでに、「善意や倫理<<手に入る利益」の方程式を自分の中に確立し、その上で行動しているのだから。うるさい輩が騒ぎ立てて自分たちの利益が減るかもしれないので、ちょっと反省して謝罪したふりをしておこう、行動はこれまで通り。その程度にしか考えていない。常識の観念が異なる人に、常識を教え説いても意味が無い。
やはり何らかの具体的な対応を成すための強制力が必要なんだろうなあ、と最近つくづく思う次第ではある。
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