人手が足りないと単にリソースが不足するだけでなくさみしさを覚えてツラくなる

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猫を室内飼いする時は最低でも二匹が良いという話がある。一匹だと家の中に一匹という孤独感を覚えてしまうので、性格的に内向的になってしまう、さみしさを覚えてしまうからというもの。二匹いればお互いで猫同士のコミュニケーションがいつでもできるから、さみしくないという話。実のところは猫自身に聞いてみないと分からないし、猫の中にも個性があり一匹の方が過ごしやすいという考えを持つのもいるかもしれないけれど。

ただ、人の場合は人語を介して少なくともその言葉の領域内でなら容易に意思疎通が可能となる。三人、四人と集まればそれぞれ別の考えを持つ人の声を聞き意見を得ることができる。全員にではなく特定の、条件が合う人にのみ話をしたい場合、同じ環境に複数の選択肢があった方が良いことを考えれば、自分以外に一人のみではなく、複数人いた方が良いのはいうまでもない。

同じ場で働く人の人数。多ければ多いほど投入されているリソースが多いので作業は楽になり余裕ができて品質も上がりリスクが減るのはもちろんだけど、何かあった時のコミュニケーションの選択肢が増える、これは自分がアプローチするに限らず、指摘されている通りアプローチを受ける、指摘をしてくれる、ほめてくれる、共感してくれるまで含めた、総合的な意味でのコミュニケーション、ので、人数が多いにこしたことはない。


特に自営業、クリエイティブな職に就いている人は、一人で成すことが多いため、この「場における孤独感」を覚えるケースが多々ある。それに慣れている人でも、よほどのことが無い限り、石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」的な心境に至ることがある。人は基本的に社会生活をする生き物なのだから、それは当然の行動性向だと思う。

だからこそ、指摘のある「独り身となる在宅フリーは、人間工学に反する労働形態」との認識は、あながち的外れではない気もする。合理的ではあるけれど、人間の社会様式をおもんばかれば、実はそうでもないのかな、という感じだ。

それでも昔と比べると、今はネットのおかげで随分と楽になった。絵描きの人や研究者などが同じ界隈の人たちとすぐに意気投合して会話するようになったり、即売会などのあとで焼き肉などの宴会的なものをするのも、この「人の社会様式」を成すために、普段欠けている部分を補完したいとの無意識な思いによるところが多分にあるのだろうな、という気がする。同じ界隈の人同士なら共通する知識や経験も多いし、相談事や情報交換もしやすいし、ね。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年11月21日 07:45に書いた記事です。

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