元々「本」は媒体に情報を記して第三者に提供するものであり、昔は石板や木板に記していたものが、紙に変わって今の本になった。それがデジタルで伝えられても、「本」の本質(シャレではない)に変わりはなく、記され伝えられる媒体が変化したに過ぎないと考えれば、納得は出来ます(°ω°)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年11月26日
「本(ほん)」という言葉は「木」の根っ子部分、「もと」から転じたもの。「もと」がお手本とか書写のマスター的な存在としての意味になり、そこからさらに書物全般を意味するようになる。情報の元となる存在、といったところかな。
紙が無い時代は石板や木板に彫り込まれたり、羊皮紙に書かれたりしていたものが「本」的な扱いを受けていた。そして今は紙によるものが本との認識。そして今後は......というか日本ではまだなじまれていないけど、欧米などではデジタル情報として存在する書物もまた、本として扱うようになっている。
「本」を情報の集約したもの、根幹を成すものと認識するのなら、配されている媒体が石や板、羊皮紙なのか、紙なのか、デジタル情報なのか、その違いでしかない。本質は情報が集約されているか否かであり、使われている媒体ではない。
......と考えると、電子書籍と一般書籍の間には、さほど大きな溝は無い気がする。溝を作っているのは媒体そのものの特性の違いと、個々の媒体にこだわりを持つ人の想い。現状では主流の紙と、デジタル情報との間には、それぞれ短所も長所もあるのだから、それぞれを上手く使い分ければよいまでの話だとは思うのだけどね。
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