最近は板書をカメラで撮影する学生がいる。板書の写真撮影について皆さんはどう考えているのだろう。
— Tomoaki Matsumoto (@SfumatoAMR) 2016年11月22日
@sfumatoamr
— Tomoaki Matsumoto (@SfumatoAMR) 2016年11月22日
撮影の欠点:
シャッター音がうるさい(ビックリする)。
教員の肖像権の問題。
書いて覚えることをしなくなる。
ノートにまとめる力が身につかない。
ラクをするヤツを許さないという精神論。
恥ずかしい板書が情報漏えいするリスク。
@sfumatoamr
— Tomoaki Matsumoto (@SfumatoAMR) 2016年11月22日
撮影の利点:
教員の話に集中できる。
手首が痛くならない。
板書しながら説明する教員対策。
パワポを学会発表のように詰め込む教員対策。
学生も教員も3:1ぐらいで賛成VS反対ってのが面白いな(もっと差が出て、学生は賛成が多く教員は反対が多いかと思った)。
— 前野[いろもの物理学者]昌弘 (@irobutsu) 2016年11月27日
ちなみに私は「写真撮りたい人はどうぞ。可能なら無音モード使ってね」って言っている。
「板書に必死で話聞いてませんでした」と言われるのが一番嫌い。 https://t.co/ba18OgJ2Ve
かつては個人ベースでカメラの類を気軽に持ち歩くなどという状況は想定し難く、せいぜいポラロイドカメラが登場した時に、それを使って黒板の内容を映してノートの補完をするとの事例があったという話をちらほら聞く程度。コストパフォーマンスが悪いからか、一般化はせずに、その後コンパクトなデジカメ、さらにはスマホが普及浸透し、今件のような「授業中の板書を撮影しても良いか否か」の論争がなされるようになった。
大学全体として、許可あるいは禁止令が出ているのならまだしも、教授の判断次第とするのなら、これはまさにケースバイケース。教授側のポリシーやら授業内容やら板書の仕方やら、多種多様な要素で判断が成されうる。
まぁ、撮影アリにしても、無音モードはマナーレベルの問題ではあるし、ネットにアップってのも常識論としては避けるべきではある。
あれねえ、
— KGN (@KGN_works) 2016年11月27日
昔「板書するのに一生懸命で、話聞いてませんでした」
今「撮影するのに一生懸命で、話聞いてませんでした」
なんですよね。
出来ない奴はやってる事変わりません。
ざっくり概念図を書いてそこにメモしてあとで参考文献と突き合わせ、という作業が出来ないと結局理解できないんだけど(PPTのプリントアウトがあると概念図書く手間が省けるが教員の作業量的にお勧めできない面はある)、そこが理解できてないから綺麗にきちっと写す作業に血道を上げる。
— KGN (@KGN_works) 2016年11月27日
あとは「先に予習しとけよ」というのもありますね。
— KGN (@KGN_works) 2016年11月27日
おまえさんが一生懸命写してるその図はテキストの○ページに同じ意味の図があるぞ、なんてのをバシャバシャやってるお馬鹿さんもいるわけで。
写真撮らずに「図」とメモっておいて、教官が話してる内容をメモる時間にあてたほうが利口。
医学部時代にも録音機材とデジカメとを駆使してた奴いましたが、追試の常連でしたねえ...
— KGN (@KGN_works) 2016年11月27日
講義全体をビデオに撮っておいて見直すなら兎に角ねえ。
他方、このような指摘もあり、これもまた大いに納得同意させられる。資料を創る......というか移すこと自身に夢中になってしまい、その中身まで理解が回らないのだよな。自分で考えながら足し引きをする際の資料として、写真などを用いればよいのだけど、写真を撮ってしまうとそれで安心して、理解しようとするところまで頭が回らない。また、写真を撮ることで「聞きはぐっても後で補てんできるだろう」との想いが強くなり、リアルタイムでの講義視聴への熱が入らなくなる。録画が当たり前になった現在と、録画などごく一部の世帯でしかできなかった昔における、リアルタイムテレビ視聴への熱中度合いと同じ。
結局写真にしても映像にしても、それは資料として役に立つ面も多いけれど、それを閲覧なり再生して確認するのは、確実に余計な時間を取ることになる。そこまでしてでもより詳細な、正しい内容を把握して自分のモノにしたいのなら話は別だけど。
まぁ、決まりに抵触しなければ、板書の動画を撮ろうが写真を撮影しようが自由ではあろうけど、それを使って勉強を一層充実させるか否かも自由だし、結果として単位をとれるか落とすか、学問を身につけるか否かも自由だからねえ......。
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