自称キュレーション問題、特に医療方面の記事は、結局のところ「人的ワードサラダの生成とその暴露」と表現すればよろしいのかしらね......。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年12月10日
ワードサラダ...文法は正しいが、意味が支離滅裂である文章のこと。検索エンジンやメールのスパムフィルタを回避して、閲覧者を特定のウェブサイトに誘導することを目的としている https://t.co/xSLluF0yfN
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年12月10日
先日から次々に実態が暴露...というか多分の人に公知されるようになった、自称キュレーションサイトのお話。すべてがすべてではないけれど、その多くが下請け的企業から送られたデータを用いているもので、そのデータは単価がむちゃくちゃ安い下請けのライター......というか生成者が適当にコピペしたりツールを使って切り貼りしたり編集して作り上げたもの。大学のレポートで過去問を切り貼りして提出するのと同じ感覚。
この辺りの話を見聞きするに、少し前まで検索エンジン関連で問題視されていた、いわゆる「ワードサラダ」と仕組み的には同じように見えてきた。ワードサラダとは何ぞやってのは上の通りで、一見するとなんかカッコイイことを語っているように見えても、実態としては意味が通っていない文章のこと。
自称キュレーションサイトの文章は、かつてのワードサラダと比べればそれなりに読めるものではあるけど、内容的にはあまり差異は無かったりする(要はコピペの上手い下手の違い)。可能ならばアプリケーションで自動生成できればそれが一番手っ取り早くてコストも抑えられるわけで。それが出来ない(作ることはできても、本来の目的である「検索エンジンを騙して上位表示させる」が不可能)から、人の手に任せているだけの話。
興味深いのは、プログラムによるワードサラダが検索エンジンに通用しなくなったので、人的ワードサラダが隆興するようになったと考えると、今件キュレーション問題もするりと納得がいくってことまた同時に「自動化よりも結局人の手か」という動きも注目に値する、と。加えて、プログラムに任せるところを人にやらせているので、投入リソースは極力低く抑えられるので、ライター云々の話とは比較できないような単価算出がなされてしまう。プログラムによる生成物と同じ程度のコストとなれば、それは納得せざるを得ない。
技術進歩は人を便利にするけれど、場合によっては人のよりどころ、働き口を奪うことになる。そして一度奪われた仕事は、たとえ再び人の手に戻ってきたとしても、技術によって低コスト化された基準が標準化されるので、とてもではないけど仕事の対価とは言えないような金銭しか発生しなくなるし、質も当然相応なものとなる。
色々と考えさせられる話には違いない。
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