御存知の通りニポン人は神仏に対して畏敬と尊敬は持つが絶対的存在としてではなく、親愛の情を多分に含んで接しているので、この手の神社仏閣テロからはメンタルダメージより「何さらすんじゃコラ!」という憤りのほうが強く働く
— BIT (@_kksbit_) 2016年12月11日
これ、神格を絶対視する人種には永遠にわかんない感覚らしい
ニポン人は神格を絶対視しない代わりに信じてない宗教の神でも「とりあえず神聖で尊いもんはよそさんのもんでも蔑ろにしたらアカン」という感覚も非常に強いので、他所の国でも神域で無礼を働くことはまず無い
— BIT (@_kksbit_) 2016年12月11日
まあキリスト教寺院でかしわ手合唱するとかトンチンカンな真似はするがw
ここしばらく注目されていた、宗教的な造形物、例えばお地蔵様への破壊活動に関して、先日隣国からの入国者が破壊していたことが明らかになり、該当者が逮捕された件。国籍などに関して揶揄する、指摘する声も多いけど、例え自国の人が犯人でも同じような憤りの想いは多分に生じたに違いなく。
この辺りの心境についてぼんやりとしたものがあったのだけど、大よそこれに近いかなという指摘が上に挙げたもの。無論確率論で、日本人であろうと他国で神聖なものにやらかす人が皆無ってことはないけど(落書き事案とかね)、意図的な反復活動の類はあまり聞かない。まぁこれは日本人に限らず、大よその宗教観念や信仰を有しているものなら誰しも同じような考えだけど(ただし反する宗教への破壊衝動は大きなものとなる場合も多々ある。他への尊重よりも、自身が信じるものへの崇拝が上回ってしまう)。
詳しいことはよく分からないけど、なんか尊いから拝んでおこう、頭を下げておこう、手を合わせておこうってのは、よくわかる。当方もよくやってしまうんだよね。身近にいる、なんか神々しいもの。それに気が付いた時には、とりあえず感謝の気持ちを表す。まぁ、元々八百万神(やおよろずのかみ)なんていう概念もあるぐらいだし。
@_kksbit_ @Fuwarin おそらく自然石信仰や自然物信仰がベースとなり、其所に在るという感覚なのでしょう。山川草木、山紫水明が尊。敷島のよか伝統でごわすな。
— 薬師丸崩山 (@osafne_blade) 2016年12月11日
この辺りの考えは、指摘の通り自然信仰がベースとなっているのかなあ、という感はある。それだけ自然に恵まれていた、同時に厳しい自然と対峙してきた証拠なのかもしれない。
漫画やアニメの『聖地』が『聖地』と呼ばれるの、結構な割合で感覚的に神社仏閣と変わらんからんだよね...。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) 2016年12月11日
アニメに出てきたあそこのあの看板が破壊された!って言うのと、仏像が破壊された!っていうの、だいぶ怒りのポイントは近い。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) 2016年12月11日
......と考えると、漫画やアニメなどの元ネタとなった場所が「聖地」扱いされるのも、妙に納得がいくというか道理が通る。信仰の源となる拠点としての自然や地形、建造物。信奉している対象がリアルな形で存在する。偶像崇拝というと行き過ぎかもしれないけど、それに近いものはあるのかな。
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