インタビュー形式の記事の危うさと、世論操作と

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以前にも何度か言及した「現場の取材は非常に印象深い。五感を使って感じるから。それ故に、その印象の強さにとらわれると、木を見て森を見ずの状態となってしまう。さらにそれを『木の状態を森であるかのように語る』としてしまうと、大変危険なことになる」的な話。現場を知ることは大切だが、それを強調しすぎると近視眼的な方向性となってしまう。

それを意図してか、あるいは無意識のうちにか、悪用する界隈が増えている気がする。真ぁ多分に無意識のうちに「現場のインタビューは効果があるように見えるから、意見力が強いように思えるから多用しよう」という経験の積み重ねによるものだろうけど。


この「現場の強い印象を用いて、全体が大よそそれと同様であるかのように、その現場の例が全体の代表例であるかのように見せる」手法は、多分に全体像を歪めさせてしまうので大変危険性が高い。それを悪用する事例も多々ある。

さらにそこに、生存者バイアス、そして感情論、さらには「弱者には無条件に従うべき」論を組み合わせれば、容易に全体像を偽装させ、世論の誘導も可能になるだろう。あるいは意図的に、あるいは無意識のうちに。数理や統計に仇名す、暴挙でしかないと思うのは当方だけだろうか。


偶然ではあるけど、一連のお騒ぎもまた、これに近い気がするのだよね。感情論に振り回されることで、振り回した本人が益を得て、その何倍もの不利益を中長期的に不特定多数がかぶることになるのは、最近では震災以降さまざまなケースで暴露されたというのに、ねえ。

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このページは、不破雷蔵が2016年12月15日 08:00に書いた記事です。

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