「余力」や「無駄」は保険であり自由裁量や冗長性のリソースでもあった

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「余力」や「無駄」は言葉のイメージとしては余計なもの、要らないもの、削除すべきものとの印象が強いけど、それを語るのはあくまでも指示をする側や第三者である場合が多く、本当にだらけている時間であるか否かまでは分からない。さらにはそのような遊び的なものでも、全体の組織としての維持には欠かせない存在であることも多々ある。それが具体的に数字化しにくいだけの話。軍事的には機動予備軍とか、スケジュール管理の上では予備日とか、そんな感じ。

予定通り物事が済めばそれは無駄に見えてしまうけど、世の中全て予定の通りにいくとは限らない。管理する側、運用する側の管理予知能力が低ければ、リスクが体現して冗長性が全体に必要な状況はそれだけ多く発生しうる。

にもかかわらず余力の類をすぐに明確に数量化できないとの理由のみで切り払い、リスクが体現化したときの対応を「現場の努力」で何とかさせていたのでは、ほどなく破たんが生じてしまう。相手の好意に期待するシステムは絶対に持たないし早期に崩壊しうるのは言うまでもない。

社会全体、経済の上では、デフレ感覚がそれを後押ししたのだろうなあ、という感はある。先日も触れたけど、「アフターゼロ」(岡崎二郎先生)に収録されている「反撃の負」なる作品の指摘が、ずしりと重みを覚えさせる。


残業に関してはまさにその通りで、万一のトラブルの際に対応する機動予備みたいなもの。それが常用化したのでは、その仕組みはすでに破たんしているのと同じ。毎回ピンチヒッターやピンチランナー、リリーフを出している野球チームってどう思う? 的な。


で、こんな話が出てきたのは、例の年末における佐川問題。実のところ佐川に限った話では無く、宅急便界隈は結構大変なことになってるとの話はあるし、遅延も実体験している。元々需給の見通しはつきにくく、それ故にある程度余力を用意しておいて、それが余ったら「コストは多少無駄になったかもしれないけど、楽できたよね。何より対応し切れないってことが無くて良かったね」って感じならよかったのだけど、その余力の幅が少なく見積もられた結果、オーバーフローを起こしてしまった次第。

あとは指摘の通り、景況感の回復やらネット通販の数量増加・地域拡大やら時間指定サービスの問題やら、労働市場の改善で賃金引上げに関して甘く見ていたので労働力が確保できなかったのかなあ、と。この辺りはまさに、すき家のワンオペ問題と構造は近しい。

社会現象に関してスタンピード現象が起きやすい事も合わせ、数量的なぶれが大きくなりやすい昨今では、慎重な市場調査と十分な備えが必要になる。一方で、その備えが「無駄」との認識、デフレ感覚にもつながるその方策を相変わらず維持していると、あっという間に堤防が決壊してしまう。

組織の意思決定部分において、臨機応変な施策、発想の状況に合わせた転換、柔軟な思考が求められる時期には違いない。そのテンプレ、今でも使えます? 的な。

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このページは、不破雷蔵が2016年12月26日 06:52に書いた記事です。

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