@hayakawa2600 高校時代、社会科の選択するとき、地理がわからなきゃ世界史がわからない、世界史がわからなきゃ日本史がわからないという母のアドバイスに従って地理→世界史→日本史と選択した。母のアドバイスは、多分正しかったと思う。
— とーこ (@rencircle79) 2016年12月21日
以前は数学の三角関数周りでも似たような話があった記憶が脳内にちょこんとある気がするのだけど。自らの経験則的なものをもとに、社会科の地理とか世界史は普通に生活している分には必要が無いとする主張がある。その人にとってはそのように思えたのかもしれないけど、それは結果論でしかないし、第一自分自身も気が付かないうちにその知識や経験を利用し、利益を享受している可能性もある。
今件もその一つ。勉学の多くは少なからぬ連動性を有していて、関連する事象の知識があると、するりと理解ができることがある。暗記法でもよく知られているよね、つながりを知っていると記憶の助けになるって。
仕事する時も割と役立った気が>地理&世界史
— KGN (@KGN_works) 2016年12月22日
「なにそれ、そんな国どこにあるの、知らないしwwwww」
これは確実に相手を怒らせますし、使えない奴と認定される最速の方法です。
歴史知ってないと思わぬところで地雷を踏みます。
ざっくりで良いから知っておこう。
接する相手国の簡単な歴史は知っておかないと会話が成り立たない(こっちは気付かないけど相手が内心カンカン)。あるいは詰まらん奴認定されその後適当にあしらわれる。知ってるとうっかりしたこと言えないなと注意するようになります。 https://t.co/tv5AkdKabv
— SubicHotel フィリピン (@SubicHotel) 2016年12月22日
また、地理や世界史は他人との会話のトリガーとなる場合も多い。直接そのものの知識はもちろんだけど、何かを判断する際の材料、例えば話してよい事、しちゃいけないことの是非を見極める際に、とかね。第三者から見れば笑い話かもしれないけど、当事者にとっては冷や汗ものどころの話じゃないってことも多い。まさに「空気が読めるか否か」の問題で、その空気そのものが地理や歴史にはたくさん埋もれている。
ちょっと調べておいて「何かのきっかけを捕まえて、相手の出身地についてポジティブな質問を雑談がてらする」と話題のきっかけになったりもするし、知ってて悪い事ってほぼ無いですよね。知らずに損する事は多いけど。https://t.co/958axdpHvu
— KGN (@KGN_works) 2016年12月22日
実は一部の「コミュ障」って、こういう一切をして無いなあという人なんだよね。
— KGN (@KGN_works) 2016年12月22日
喋りたがるのは徹頭徹尾『自分』の事。
相手のバックグラウンドを調べる?なんでそんなことすんの?
これじゃ話は繋がりませんし、話を聞かされる相手はぶっちゃけ、介護してるのと同じようなもん。そりゃ嫌がる。
もともと世界史が高校で必修なのは、貿易立国である日本は、相手国の文化・歴史・情報を知らないとやっていけないので、必修にしたという経緯が。 https://t.co/oNe5BFi17H
— Kstigarbha (@Kstigarbha) 2016年12月23日
実のところこれは地理や世界史に限った話ではない。例えば何らかの賞をとった作家先生のインタビューをする際に、その先生の作品を調べて読んだり、過去の経歴を調べておくのは、必要最低限の下調べであるけど、それをしないと失礼なあれこれをしかねないってのは想像するに難くない。
自分は役に立たなかったから必要は無いよ、というのは結果論でしかないか、役に立たなかったと思っているだけの話であることが多々ある。そして今の時点で役に立たないとの認識を有していても、今後役に立つ機会があり得るかもしれない。
中には旧態依然で意地と見栄でのみ残っている勉学の類もあるのだろうけど、少なくとも地理や世界史はその類では無いと思うのだな。
記事の内容には賛成です。そして地理とか世界史に限った話でもありませんが、10年もすると状況はけっこう変わっていきますので。高校とか大学でいっぱい勉強しきたとしても、それはそれとして、時々は知識を意識的にアップデートする事も必要だ、と私は思っています。