「なぜ公開されている情報を編集するのがダメなのか」
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年12月13日
『スクラップブックを創るのは自由です』
「ではなぜ」
『それを不特定多数に開示して、さらに利益を上げようとするから問題なのです』
「...」
『編集した当人だけが閲覧可能に。「スクラップブックの場の提供」の理念にも適いますよね』
あえて特定はしないけれど。ウェブ上のコンテンツをあちこちから集めてスクラップブック化するサービスに関して、内容の真偽性云々の他に、コンテンツの詐取に関わる問題が指摘されている。悪質なパクリ系まとめサイト同様に、非常に大きな問題ではあるのだけど、当のサービスを展開している側は、自分たちはやるべきことをやっているから問題ないと、これが自分たちの理念でありステキナイスなアイディアなのは間違いないし、したかったことだから文句を言うな、的な主張を繰り返している。
紙媒体であろうとデジタル媒体であろうと、スクラップブックを創るのはまったく問題ない。誰のパソコンにもそのハードディスク上には、多数のブックマークやダウンロードした各種資料、画像があるはずだ。また、インターネットのブラウザの仕様特性上、意図せぬうちに一時ファイルがパソコン内に収められているってのもある。
そのようなデジタルスクラップブックの制作の場を提供するのはまったく問題が無い。問題なのはそれを不特定多数に開示し、利益を上げようとする仕組みを作り上げたこと。作った本人のみが閲覧できるような場では無く、不特定多数が容易に利用し、作った側が利益を得られる、言い換えれば本来それぞれの一次コンテンツ所有者が得られる利益を搾取しする構造をサービスとして提供しているから問題になる。
例えるなら、各雑誌の自分が好きな作品を切り貼りして「自分のお気に入り作品集」を創り、個人で堪能するのは自由。兄弟や知人に見せるぐらいも許容範囲だろう。しかしそれを他人に貸して料金を取ったり、コピーして「編集本」として売りに出すのはダメだよ、ということ。そのような不当行為を容易にできるような仕組みを作り、不特定多数に提供するのはもっとダメだろう、というシンプルなお話でしかない。
確かに利用者にとっては便利なものかもしれないけれど、それが不当行為の上で成り立ち、不特定多数の利益を詐取しているのなら、それは許容されるはずは無い。一般市民の預金口座から貯蓄を勝手に引き下ろし、不特定多数に「一部を」ばらまく行為が許されるのか否か、そう考えれば問題の本質は容易に理解できるはずだ。
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