報道界隈の品質の劣化や、事実よりも煽り・注目を優先する姿勢の顕著化に「ビジネスだから仕方が無い」との反論、ご意見を頂くことが多々あります。それは正しい意見だと思います。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年1月17日
ただし。
その主張を通すのならば「報道」として与えられていた数々の特権はすべて破棄しなければなりませんね。
感情による世論の暴走、事実と異なる方向への迷走を阻止するのが「報道」の役割の一つであるはずなのに、むしろそれを率先して扇動している以上、今の報道を自称する界隈には「報道」を名乗る資格は無く、また与えられている特権の数々も返上されてしかるべきなのではないかと。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年1月18日
「報道」が報道として権威ある立場として認識され、さまざまな優遇措置を受けているのは、それが公正明大で社会の安寧に貢献する役割を期待され、果たしているとの前提があるから。再販制度や電波料の格安な設定のような物理的なものだけでなく、「報道の自由」なる棍棒を振り回し、自由奔放な行動が許されているのも、多分にその責務があり、果たしているとの前提のため。有能な武将ならば多少のやんちゃは許される、といった感じ。
他方、昨今の実情、あるいは今までもそうであり、それが暴露されてきただけの話かもしれないけど、は、その社会的役割、責務を果たしているようには見えない感は否めない。権利はどんどんと拡大解釈で要求し、実行し、義務は果たさず怠けているどころか、それに反するような行為まで多々見受けられる。バイトをすれば相応に賃金がもらえる仕組みで、バイトを休んだり出勤してもワークをこなさずにサボってばかりなのにも関わらず、休んだ分までバイト料をよこせだとか賃上げしろとか商品をタダでくれと言っているのと同じ。
「報道」と呼ばれているものの実態を成していない界隈には、報道の名を名乗る資格は無く、また特権の数々は利用できないようにしないといけないのだろう。それが成されなければ、ますます怠惰になるのは目に見えている。まさに「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」に他ならず。
私は、毎日新聞の小川取締役に対話を持ちかけました。
— 林 智裕 (忘新年会Ver.) (@NonbeeKumasan) 2017年1月17日
暴言も避け、事実を事実として報道してほしいと、具体的な内容まで含めてお話しています。
一方、彼は過去にデマゴーグを好意的に取り上げた事実を示されながらも、何の弁明も無く完全無視。
この記録自体に後世、意味が生まれると思います。
毎日新聞の小川取締役 @pinpinkiri の様な対応を続けていると、結局は現場の記者が取材拒否をされたり、本当の事は何一つ話してもらえなかったり、「〇月〇日の記事は許せないですね」と批判されるようになるでしょう。市民からこの様な対応をされている他紙の記者も実際にいましたよ。 https://t.co/AgBw9SKnod
— 井上リサ☆玄海紀行 (@JPN_LISA) 2017年1月17日
事実と異なる事案をプロバガンダで押し通した場合、昔は「そんなこともあったよね」ぐらいでスルーされてオシマイだったため、それなりのメリットがあった。費用対効果でそろばん勘定があったのだな。でも今では詳細な記録が残せ、後に検証されるため、相応の揺り返し、報復、ペナが生じる。リスクが高くなっているわけだ。その実情を認識せず、過去のスタイルを踏襲し続けているから、報道やジャーナリストの狼藉が次々と指摘されるようになっているのではないかな、と思う。
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