米国の報道機関の「エンドースメント」(政治的な支持表明とその行動)で、「報道(公平さを維持)と編集委員会の記事(表明に基づいた支持行為的情報伝達)を仕切り分けしているから問題ない」とする意見にもやもや感がありましたが、その理由が分かりました(続く)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年1月25日
これ、いわゆるネイティブ広告や企画広告で「広告記事です」などの表記をせずに一般の記事と混ぜて配信するのと同じ構造ですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年1月25日
先日本家サイトの【米大統領選挙直前時点で「マスメディアはクリントン氏にえこひいきをしている」と認識していた人は52%】でも触れたのだけど、米国の報道機関やジャーナリストが、政治的に支持表明をしてその意図に基づいた情報発信を成していくスタイルを「エンドースメント」と呼んでいる。日本と異なり米国では報道機関であっても政治的公平中立性は求められていないので法的な罰則規定はないのだけど、ニュースなどでは当然中立で公平な情報で無いと事実とは異なる情報を受け取ってしまい、視聴者・読者が被害を受ける可能性があるので、受け手側は偏向情報は求めないし、ニュース配信部門では「エンドースメント」による情報発信とは仕切り分けをしている、だから問題ないとの主張。
でも受け手からすると、偏向情報とニュース報道の違いなんて、分からないよね。同じ新聞、同じテレビ局・番組内での情報なんだから。しかも大きなラベリングがしてあったり、画像の字幕などで分かりやすい形で「エンドースメントによる情報配信です」などと書かれているはずもない。
この辺りのもやもや感が同時に既視感を覚えていたので、どこでだったかなあと考え直してようやく気が付いた。企画広告で「広告」のラベリングをしていない、あるいはほんの小さな文字とか文章の最後にちまっと書かれている程度だったりする記事とか、いわゆる広告みたいな記事と評することができるネイティブ広告で感じたのと同じもやもや感。
個々のジャーナリストや報道機関が政治的意思を持ち、特定の方向性で情報を発信することは何ら問題は無い。ただそれは「チラシの裏でやれ」的なものであり、普段ニュースを配信している媒体で行うのはいかがなものかということなんだよね(今ならそれ専用のブログでやれ、かな)。あるいはごちゃまぜにすることで意図的に、単なる事実と取り違えて受け止める事を画策していると指摘されても反論は難しいだろう。
まぁ、日本の報道界隈は常日頃からそのごちゃまぜ、プレスとオピニオンの寄せ鍋をやっているし、「エンドースメント」としての意思表明もしていないから、もっとタチが悪いのだけどね。テレビやラジオならば法的にも禁じられているから、さらにもっと始末に負えない次第ではある。
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