過去の道具は象形文字となって人の歴史に刻まれる

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先日の固定電話の受話器が形として少なからぬ人に認識されない、知らないものであるとのお話でちらりと触れた件。自分でもああなるほどそうかという結論に、ちょっとびっくりしたこともあるので、改めて覚え書き。

かつて使われていたけれど今はもうほとんど見られない、使われていない道具が、何らかの形でデザインとして利用される。これってまさに象形文字の創生過程そのものなんだよね。ヒエログリフとか漢字とかが良い例だけど、文字のルーツとなった道具とか行動とかはその少なからずが今は存在しない、あるいは存在していてもそのように認識されることは無い。でも形そのものはそれを象徴する、あるいはそれに類する要素としてのアイコンとなり、使われ続けている。まさに電話の受話器やフロッピーディスク(3.5インチではダメで5インチとか8インチにすべきだとの話もあるけど、セーブアイコンとして使われているのはこちらが主流)もその流れ。

ただ気になるのは、象形文字...というか象形アイコンとかデザインとすべきなのかな? にシフトする時間が、既存の象形文字と比べるとあまりにも早い気がする。やはりこれは、技術の進歩が加速度的なものとなり、時代遅れとか流行り廃りがスピードアップしているからなのかな、と思ったりもする。

ともあれ今後この類の道具とアイコン・デザイン化したものと、現状では認識されないといった世代間ギャップ、テクノロジーギャップの話が出てきたら、「それは象形文字化したんだよ」と考えればいいんだな。

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このページは、不破雷蔵が2017年1月31日 07:03に書いた記事です。

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