①89歳の父の記憶はだんだんすり替わっていく。私が決めたことを「自分が決めたんだ」と父が自分で納得できるような形にすり替わっていく。そして、それを事実として周りに話す。父に悪意はない。嘘を言っている自覚は無い。私が語り部というやり方は慎重にと思う理由です。
— あふらん (@pinwheel007) 2017年1月30日
②89歳の父は認知症ではない。その年齢にしてはかなり高度な会話が成り立つ。でも、他人の体験や過去に聴いたことを自分の体験のように話すことがときどきある。知らない人はそれを信じる。大きな問題があるわけではないので私は聞き流している。ただ、人の記憶はすり替わるということ。
— あふらん (@pinwheel007) 2017年1月30日
これは以前「体験談の類は、特に高齢者のそれにおいてはそれがすべて事実であると認識するのはリスクが高い」といった話を、戦時中の体験談の記事から解説した件に連なるもの。人の記憶は非常に機能として高いものだけど、同時に虚ろでもあったりする。逆算するとどう考えてもその時代にはまだ生まれていなかった人か、体験したかのように語るのも、記録や他人からの伝聞を自分の経験とすり替える「記憶の差し替え、上書き」が起きている可能性がある(詐称以外に)。
語っている内容は高齢者のものだけど、これは結構ある話。記憶をつかさどる部分の機能の一部が劣化して、その機能が不安定になっているのだろうなあ、という感はある。これと似たような現象は、例えば子供の記憶とか思い違いとか。意図的に嘘をついていることもあるけど、自分の見聞きしたこと(テレビや本からの情報でも良い)を自分が体験したものとして認識し、それが記憶となり、事実としてしまう。この記憶の仕切り分けの部分、つまり「自分が実際に経験したこと」と「自分が他から得た情報」の区分に関して、子供はまだ未発達で、高齢者は衰えているから、結果として同じような症状を見せるのだろう。まさに子供と高齢者は同じ部分がある、ということだ。
記憶の書き換えは実のところそう珍しい話では無い。「子供の頃に聞かされた、テレビなどで見聞きした恐怖体験を、いつの間にか自分自身が体験したものと認識してしまう」という事象は良く聞くし、推理物とかSF物でもトリックなり話の骨組みとして使うことは少なくない。さらに、体験した現象があまりにも衝撃的だと、大人ですら「記憶の仕切り分け」の機能がオーバーフローを起こし、異なった記憶が認識されたり、自分自身が経験したことと、見聞きしたことをごちゃごちゃにしてしまう可能性もある。
記憶の限りで話している以上、その人はウソをついているつもりはさらさらない。けれどそのような事実誤認、錯誤は得てして悲劇やトラブルの元となる。ネタ話ならいざ知らず、そうでない場合は複数人数による精査検証が必要なのだろうね。
コメントする