米大統領選以降の米国の報道といい、豊洲事案に絡んだ日本の報道といい、報道界隈によるプロパガンダ、世論操作がいかに行われていくのかを肌身で知る良い機会だと感じているのは当方だけでしょうか。報道自身はそれを良しとして確信的に、あるいは無意識に成しているのでしょうけれど。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年2月1日
米大統領選の選挙期間中における米国内の報道界隈の偏向ぶりや、その結果が出た後のフェイクニュースへの責任のなすり付けとさらなる偏向ぶりが現在にまで続いている状況、そしてまったく軸は違うものだけれど豊洲市場に絡んだ日本の報道界隈の偏向報道ぶりを見るに、つくづく「報道」と自称する界隈は公明正大という社会的な大義はどこかに放り投げて(米国の場合は本当に大義名分のみで法的な縛りはないけど、日本の場合は規約なり法的なものがあるからねえ)、世論誘導の類を平気で、当たり前のように成していくのだなと強く感じている。
数字や理論、科学を放り投げ、感情や心境を正当化し、御旗にかかげて振り回す。それが正しい、賛成しなければ悪魔だ。その様相はまるで魔女裁判ですら恐れをなしてしまうかもしれない。
以前の【「私達記者は正義、がんばる」】で覚えた嫌悪感...というか、異世界の悪しき存在的なものを認識したような、生物の本能としての「これは良くないものだ」という直感が、もりもり想起されてくる。
恐らくは戦前の日本における「戦争賛美」的な報道の流れも、軍部に強要云々などは大義名分や後付の理由で、多分に報道が率先していたのだろう。それが姿かたちを変え、繰り返されているに過ぎない雰囲気がある。そして事が済むとかつてと同じように、「強制されて仕方なく」「商売だから仕方なく」「感情だから」「需要があったから」と自己弁護と責任回避をしていくのだろうな。
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