自分の世界を創る人のパターンですね。 .@cst_mgn さんの「注意書きや案内を「読まない人」は本当に読まない。フォントサイズを変えようが下線を引こうがとにかく読まない。そして「聞..」をお気に入りにしました。 https://t.co/80ctWdmAGb
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年2月9日
時折ニュースなどで「注意書きが十分でなかったから事故が起きた」的な棍棒振り回しをキャスターや記者が語るような場面があるけど、そのたびに「もし本当に指摘されているように大きく分かりやすく書いても、その人は目を通して留意し、その内容に従って行動したのだろうか」と思う。
説明書を用意しても読まずに手を付け、分からなくなったりトラブってから説明書に目を通す、酷いのになるとトラブっても説明書は読まずにメーカーに文句を入れたり人に聞くってのがある。説明書ではなく本体自身に注意書きやらガイダンスが書かれていても、それに従わずにもりもり自己判断で、自分の世界を作って操作する人は絶対にいる。
「自分ルール」を即時に作り上げてそれで行動したり、「どうにかなったってどうにかできるわよ」的な発想のもの。「ここから先は並んでも商品はありません」と注意しても「並んでいればどうにかなるわよ」と強引に並び続ける人とか、よくあるパターン。
困るのが『問診票を読まずに適当に丸をつける人』ですね。
— KGN (@KGN_works) 2017年2月9日
実はそのレベルの人もいます。
:注意書きや案内を「読まない人」は本当に読まない。フォントサイズを変えようが下線を引こうがとにかく読まない。そして「聞いてない!」と言う。 https://t.co/i9It2e3Hfc
「問診票の質問をろくに読まず、テキトーに丸を付ける人」がいればこそ、予防接種前に口頭で再確認すると言う場合もありますのでご理解いただければと。
— KGN (@KGN_works) 2017年2月9日
なにしろ、「この、『副作用について読んで理解しましたか』という質問に丸付いてませんけど、読みましたか」と質問してる最中に「いいえ」に意気揚々と丸を付ける人もいるくらいです(=文章を読んでもいないし、説明も聞いていない)。
— KGN (@KGN_works) 2017年2月9日
アレルギー情報等は改めて聞く事もあるかと。
この「読んでない、聞いてない」人は別に『逆らうオレサマカッコイイ』なんてつもりは全くないんですよ。
— KGN (@KGN_works) 2017年2月9日
「丸付ければ良いんだろ、ほら付けた、さあさっさと一本打ってくれ」
なんですね......
そっちに丸付けたら打てませんw
病院で書かされる問診票の類に限ってもこんなケースは多々ある。当方も通院時にこのようなやり取りを見聞きしているので、ああやっぱり自分が見た限りのものではないのだな、とむしろ納得。若年層ではほとんど見受けられず、中堅層以降に多かったりする。高齢層の中にはむしろ、適当に書くことを偉ぶってる感じの人すら見受けらた(夫婦で来院しているっぽい人たちの夫側がそんな態度だった)。
書いても読まない、指定しても従わない人がいるのを前提に社会を構築すべきだ、仕組みを作るべきだとの意見もある。安全対策では特にそれが強く求められる。それは一つの正しい意見ではあるけれど、それが絶対無比な唯一の真実として振り回すと、当然必要なコストは跳ね上がるし、効率は悪化するし、結果として出来るはずのものが出来なかったり、救われるはずの人までリソースが回らずに救われないという事態が生じてくる。リソースは無限に存在するわけじゃない。
だからどこまでハードルを下げるかは、ケースバイケースで検討し、最良の結果が出るような判断を下さねばならない。世の中には世界観の軸が常識から外れている人が少なくない。昔はそのような性質を持っていると、自然に社会そのものからはじかれていたのだろうけど。その気配を覚えれば(あるいは覚える能力があれば)、自ら自分が間違っていると学習できる機会となったのだろうけど。
一律ハードルを一番下まで下げるという方向性は、楽ではあるけれど、逆に多くの人が痛手を受けかねない。その事には留意しておく必要があるのだろうな。
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