注意を理解しない、できない、意識しない人は確実に存在する。その頭の中身は

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先日の【注意書きはどんなに詳しく、分かりやすく、大きく書いても読まない人はまったく読まない】から連なる話で。確かに指摘されている通り、それこそ一人一人にヘッドホンを確実に手渡し、エンドレスで注意事項を聞かせたところで「聞いてなかった」「説明が不十分だ」と言う人はいるだろう、的な感はある。説明する側に明らかな不足があったのか、聞き手側の能力の問題だからそこは割り切る必要があるのか。その境界線をどこに定めるのかが難しい。情報の伝達技術の発展は、この境界線の下側にある「切り捨てる必要がある」側を可視化して目立たせ、境界線を敷き直させようとする効用もあるのかなという気がする。


これは多分に別の話からのものではあるけど、今件でも当てはまるような指摘な気がしてならない。株式投資における損切りの概念とでもいうべきなのだろうか。


今件に関して「なるほど」と大きくうなづける解説があったので、まとめて覚え書き。確かに文字を読むのはそれなりの労力を必要とするので、それを意図的に忌避する、さらには無意識のうちにスルーして脳の負担を減らす行動に出てしまう人ってのはいるのだろう。情報を信号として取得するのと、その信号を情報として咀嚼して把握して理解するまでには、それなりの技量とパワーが必要になる。

目の前にあるものに対し「何かある」とは瞬時に見えても、それが何物であるかを確認して、その上でその状況に対してどのようなことをすべきかまで達するのには、時間的には瞬時ではあるけど相応のプロセスと判断が必要となる。当然疲労は生じるわけで、それはイヤだとパスをしてしまっているのかもしれない。「見なかったことにしよう」は良く使われるネタ的反応だけど、それを無意識のうちにしている......とでも解釈すれば分かりやすいかも。あるいはアレかな。脳内の流れ作業をする工場において、最初の段階の振り分けで全部はじき出してしまって、途中のプロセスが休んでいる感じ。

特に最後の「年取ると脳味噌が老化してみんな読んで理解するって能力を喪失していく」との部分には色々と腑に落ちた感がある。既存のものに固執して新しいものを取り入れようとしない、積極性に欠ける悪癖とか、交通法規を守らずに「我が法律だ」的な挙動を成してしまうとか、その辺りの行動性向の一因は「何かを読んで理解する能力」が劣化してしまう点にあるのだな、と。

まったく理解できないのではなく、理解度合いが減退して、その重要性が随分と希薄してしまう、その結果として自らが有する既存の価値観、自分自身の大切さが優先される判断をしてしまう、と。そう考えると、理解はできる気がする。

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このページは、不破雷蔵が2017年2月11日 07:48に書いた記事です。

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