事故等による電車や列車の遅れに関して、「駅構内や車内での案内放送が不十分だった」と述べる乗客の映像がよくTVで流れますが、これも同様の症例と思います。どんなに放送していても聞いていないだけかと。@gnewscomhttps://t.co/6MiNuPmC0B
— sat (@satontwitt) 2017年2月9日
先日の【注意書きはどんなに詳しく、分かりやすく、大きく書いても読まない人はまったく読まない】から連なる話で。確かに指摘されている通り、それこそ一人一人にヘッドホンを確実に手渡し、エンドレスで注意事項を聞かせたところで「聞いてなかった」「説明が不十分だ」と言う人はいるだろう、的な感はある。説明する側に明らかな不足があったのか、聞き手側の能力の問題だからそこは割り切る必要があるのか。その境界線をどこに定めるのかが難しい。情報の伝達技術の発展は、この境界線の下側にある「切り捨てる必要がある」側を可視化して目立たせ、境界線を敷き直させようとする効用もあるのかなという気がする。
「少数派に配慮」した結果、多数派も巻き込んでみんなが不幸になる結果しか見えない。
— いむらや (@reichi062) 2017年2月10日
これは多分に別の話からのものではあるけど、今件でも当てはまるような指摘な気がしてならない。株式投資における損切りの概念とでもいうべきなのだろうか。
https://t.co/Koqle4s7hW
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
注意書きや案内は読んだ人を保護するもんで、読まない人、読めない人の存在はある程度諦めんと仕方ないのだよなぁ。
手前の友人がそうなのだけど、字が書いてあるのを認識した時点で、字を拒否してるんだよな。実は文章を読むっていうのは特殊技能で、日常的なトレーニングを必要とするものなのだが、それを積んできてないから出来ないのよ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
もしかすると、視覚の方が聴覚より脳にとって高負荷だということが関係しているのかも知らん。同じ文章を受け取るにも、視覚情報の方がしんどいから、脳が楽をする為にフィルタリングするのかも知らん。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
また耳で聞いても、文章を理解するっていうのは高度な能力で、特に抽象概念が入ると、三歳くらいの感覚で生きてると、全く無理なんだよなぁ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
んで同じようなことは疲れてたり別のことに気を取られてたり苦手な分野のことだったりすると、他では立派にちゃんとしてる人でも同じことになるので、あんまり貶す気にもなれんのだけど、それでクレームつけられても、知らんがな、書いとったがな、となるな。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
例えば、自転車の車道走行の指導が厳格化されるようになって(変ったんじゃないよ、昔っから車道走行だったんだよ)、車道に自転車走行帯が青く塗られるようになって、逆走しないように矢印も描かれてるけど、殆ど誰も気にせず逆走してるやろ。あのレベルで案内とかみんな見てないのよ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
んで年取ると脳味噌が老化してみんな読んで理解するって能力を喪失していくからね。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2017年2月9日
今件に関して「なるほど」と大きくうなづける解説があったので、まとめて覚え書き。確かに文字を読むのはそれなりの労力を必要とするので、それを意図的に忌避する、さらには無意識のうちにスルーして脳の負担を減らす行動に出てしまう人ってのはいるのだろう。情報を信号として取得するのと、その信号を情報として咀嚼して把握して理解するまでには、それなりの技量とパワーが必要になる。
目の前にあるものに対し「何かある」とは瞬時に見えても、それが何物であるかを確認して、その上でその状況に対してどのようなことをすべきかまで達するのには、時間的には瞬時ではあるけど相応のプロセスと判断が必要となる。当然疲労は生じるわけで、それはイヤだとパスをしてしまっているのかもしれない。「見なかったことにしよう」は良く使われるネタ的反応だけど、それを無意識のうちにしている......とでも解釈すれば分かりやすいかも。あるいはアレかな。脳内の流れ作業をする工場において、最初の段階の振り分けで全部はじき出してしまって、途中のプロセスが休んでいる感じ。
特に最後の「年取ると脳味噌が老化してみんな読んで理解するって能力を喪失していく」との部分には色々と腑に落ちた感がある。既存のものに固執して新しいものを取り入れようとしない、積極性に欠ける悪癖とか、交通法規を守らずに「我が法律だ」的な挙動を成してしまうとか、その辺りの行動性向の一因は「何かを読んで理解する能力」が劣化してしまう点にあるのだな、と。
まったく理解できないのではなく、理解度合いが減退して、その重要性が随分と希薄してしまう、その結果として自らが有する既存の価値観、自分自身の大切さが優先される判断をしてしまう、と。そう考えると、理解はできる気がする。
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