私のおじいちゃんは生き仏みたいな人で炊く時の水分量間違えてご飯硬いと「噛む回数増えて健康的でいいね」ご飯柔いと「今日は胃に優しいね」、味付けが薄いと「自分好みに調節出来るね」味付けが濃ゆいと「ご飯が進むね」って言うような本当に優しい人だったの、そうゆう人と結婚したい
— もやし (@moyashiNe1014) 2017年2月13日
このツイートを目にして頭に浮かんだのが、この記事のタイトル。もちろん皮肉とか悪い意味ではなく、良い意味で。いわゆるポジティブシンキングというもの。
コップに水が半分入っていた場合、それを「半分しか入っていない」と見るのか「半分も入っている」と解釈するのか、考えようで世の中はどうにでも判断できる、ならばよいように考えた方が精神的にも安定できるし、良い時間を過ごせるし、今後の選択にもプラスの影響を及ぼすかもしれない。無論、無条件で良い方面ばかりに判断して、極度の楽観主義者になるのも問題だけど。これは以前ここでも、本家サイトでも触れた事。
今件でも例えが非常に適切だけど、大事でないものならともかく、ちょいとしたものならば見方を変えて良いように判断し、その判断に基づいて行動すれば、自分の負担は軽くなり、周囲もハッピーになれる。「優しい」と表現されているけど、これは他人にだけでなく、自分自身の心にも優しい見方となる。
最近当方がやっている心がけの一つも、この方法論に基づいている。ツラい事とか大変な事が目の前に迫ってくると、その事実を目の前にプレッシャーがのしかかって長い時間心が重くなる。でもそのツラい対象に自分が好きな事、やってみたい事、楽しめる事をリンクさせると、そのツラい対象が「早く終わらせたい」さらには「これを済ませればこれができる」「これを行えばこれも可能となる」とひとまとめに考えるようになり、前向きに考えることが可能になる。診療は大変だけどその後は病院そばのデパートに立ち寄って色々と買い物できるよとか、外回りは大変だけど本屋などのウィンドウショッピングもできるよね、とか。
例えに挙げられているご飯の固さとか味付けとかは、日々の生活の中では他愛も無い、些細なこと。でもその些細な事柄の考え方の積み重ねで、生き方そのものすら変わってくるのかもしれないな。
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