報道関係者はツイッターやFacebookなどの「不特定多数に自らの意を公知出来る場」から引いた方が望ましい

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一連の園問題からメール問題へと拡大した、昨今の情勢を鑑みるのと共に、それに関して報道関係者、特に新聞発行企業の所属構成員、中でもそれなりの権限を持つ上層部の人が、色々と首を傾げる、ツッコミが入りまくる発言を相次ぎ成している。「個人の意思表明であって所属団体のそれとは異なる云々」の但し書きはなされているけど、一般企業が同じようなことをすれば、それこそ広報ですら総叩きに合い、報道界隈が旗振りをするほど後押しする、むしろ扇動、もとい先導するほどなのに、自分達のところは何のお構いも無しというのは少々虫が良すぎやしないだろうか。

自由に情報発信をしたいなのら、組織の上でのあれこれや実名と紐づけがされない、匿名で発言すればよい。何らかのか形で紐づけされる、さらには実名・実所属・肩書を公知した上での発言は、それらの権威や肩書を利用できるけども、同時にその背負ったものに対する責を負うことになる。利点だけ利用していて、責任は問わないというのは、まさに食い逃げと何ら変わりは無い。

組織の対外的意見の公知は、広報や宣伝担当が成すべき仕事。構成員の「思っただけ」の語りが、組織全体の総意として受け止められることを承知の上でなら、そしてそれが組織全体の責となることを分かってるのなら、何の問題もないのだけど。肩書を公言した上での発言、つまり不特定多数への情報発信は、すなわちそういうことを意味するのだよね。ましてや一介のアルバイトや新入社員ならともかく、支局長とか取締役とか数十年も継続して勤務している人とかなら、ね。

そもそも組織の構成員が戯言や世間一般から非難されるようなことを言及し、いわゆる「炎上」することに関して、なぜ一般企業はダメで、報道関係者は問題ないとされるのか。これも「悪しき既得特権」なのだろうか。考えてみれば極めておかしな話。

他企業で広報担当やトップ以外が自社業務に浅からぬ関係があることをべらべらと、自分の信教も織り交ぜて語れば懲戒処分もの。それが報道関係だと、社内から咎められないというのは、まことに奇妙な話ではある。組織としての管理統制が出鱈目なのではないかとすら感じてしまう、そもそも報道関係の組織とは、そのような体たらくでしかないのかという感を覚える今日この頃ではある。

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このページは、不破雷蔵が2017年3月27日 07:39に書いた記事です。

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