測定手法を変えたという事が測定結果の数値の如何に関わらず、どれだけ重要かつ深刻なのか、という点が報道とか見ていると全く無視・無関心に感じます。特に重大決断を行う際の測定であれば致命的に深刻な事件だと思っています。これがまかり通るなら、科学は政治に負けたということかなとも思います
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2017年3月6日
一方、政治家もマスコミも都合の良い数字だけをつまみ食いする。これも歴史は繰り返すでしかないのですが、たいてつまみ食いした結果、そのつまみ食いの手により食中毒が発生し、甚大な被害がでる。それを直すのに膨大な治療費を要する。このような流れも歴史は繰り返すのかもしれません。
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2017年3月6日
先の豊洲での新調査結果がどう考えてもイレギュラーな値を出しており、統計関連や調査を精査した経験がある人なら「これは調査方法に問題があるので、調査の仕方を再点検するしかない。また今件は暫定結果なので最終結果を待つのが無難」との結論を出すのだけど、報道や都知事周りはこの値で大騒ぎして世論誘導。で、結果として「イレギュラーな値が出て当然な調査方法をしてました、というかするように指図されてました」という話が今頃出てきて、なんでやねんという感じ。
今件では指摘の通り、調査方法に違いがあれば、当然結果は違うものになるし、比較は困難となってしまうという、当たり前の話がてんでできていない、むしろ意図的にやっていない状況で、重大な決断の素材として使っているという状況がリアルタイムで進んでいるのがダイナミック問題。マスコミもその辺りは経験則などで十分認識しているのにもかかわらず、「ウケが良いから」あるいは確信的利益にマッチするからとの理由に寄るとしか思えない報じ方をしている。
測定方法の変更について、なんでしつこく書いているかというと、測定と言うか観測データの解析を仕事としていて、知らない間に起きた測定方法の変更、計測器の変更、測定における周辺環境の変化、これがいかに悪影響を与え、深刻なダメージを受けたのかを目の当たりにしているからです。
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2017年3月6日
公的統計データでもたまにあるのですよね。イレギュラーな値が出た時に、その回の調査要綱を詳しく確認すると、その回から方法が変わっていたり、設問に問題のある表記がなされていたり......https://t.co/vHqt90dxE7
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年3月6日
公的データでもこの類の、調査結果にイレギュラーが生じている場合、調査方法が大きな変化をしていたってのは結構ある。大抵はそのような場合、連続性は無いので注意が必要云々という但し書きがしてあるし、分析まで踏み込んだ報告書がある場合は、そのことを考慮した上での内容となっている。でもまれに、その辺りが不完全だったり検証されていない場合もある。例の「Google+が異様に浸透していた」ってのが良い例だね。その時にはツッコミを入れるし、公的機関であってもツッコミ内容が正当性のあるものならしっかりと訂正をし、次回以降は改善をしている(当方も何度かツッコミをしてデータを正しいものに調整・再公開してもらったことがある)。
豊洲事案に限れば、確信的利益があり、それに基づいて現都知事側も報道も多様な悪意をこなしている感が多分に見受けられる。先の石原元都知事の記者会見の報じられ方一つをとっても、取り巻く界隈の姿勢は明らか。数字を悪用することこそが、最大の無駄遣いに他ならないのに、ね。
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