競争と貧富格差対策の両立は、矛盾しているように思うかもしれないが、できるんだよね。ゲーム業界を見れば競う事を楽しむには、単純な報酬ではなく参加者が必要なので、参加している人達にも報酬を分配し、参加するヤル気を継続してもらう必要がある。勝者に報酬が集中するような仕組みはダメなんだ。
— 牙 龍一:反緊縮派 (@kiba_r) 2017年3月8日
@kiba_r 『Winner takes all』は一見魅力的だけど、負け続ける側が降りるだけでなく、不正の温床となったり、力ずくで盤面をひっくり返そうとする輩も出てくる。全ての人が納得するシステムは作れないのかもしれないけど、上手にバランスをとる事は必要だと思います。
— ヨハン (@johannessm2k) 2017年3月9日
確かに慧眼だ。ゲームデザイナーというのは、「勝者報酬」と「参加者全員を楽しませる」という、一見矛盾した欲求を実現させないと売れるゲームを作れないので、資本主義経済をシステマティカルにリ・デザインするのには向いているのかもしれない。
— nakatsu_s (@nakatsu_s) 2017年3月9日
競争の仕組みを作れば当然勝者と敗者が生まれ、その格差は開いていく。しかしそればかりに注力していくと、富める者と貧しい者の差がぐんぐんと拡大してしまう。実力重視で物事の仕組みを作ると、その物差しでの実力がない人がこぼれてしまうのは、そういう仕組みだから仕方が無いけれど、社会の仕組みをそればかりにしていると、差が極端なものとなってしまう。
しかし貧富格差の是正ばかりに注力をしてしまうと、今度は競争が生まれずに努力の姿勢を示そうとしなくなってしまう。やってもやらなくても同じリターンしか無いのなら、やるだけ無駄だよね、的な。加えるならば人は生命体として存在している以上、先に進む、進歩を求めるという生存の上で欠かせない本能を持っているので、それにすら反することになる。
で、結局のところ二者は絶妙なバランスとそれをつかさどる巧みな能力による判断や、優れた仕組みが必要なのだけど。その方法論の一つとしてゲーム的な場の仕組みがある。勝者・敗者の二択でオシマイなのではなく、第三者を用意し、その人たちにも間接的な報酬を与えることで、多くの人を競争と貧富格差においてバランスのとれたはかりの上にのせる事が出来る。
公共のギャンブルなどが実はよい例。勝者には多額の報奨金が与えられるけれど、敗者にも相応の報酬は得られる。さらにその報酬は競争をしている様子を閲覧している第三者たる観客の入場料や視聴料、投票券(馬券など)を介して集められるのだから、良い試合をして注目を集めれば集めるほど、勝っても負けても報酬額は増える事になる。面白い、興味を引く競争をすれば、競争をしている当事者の懐は(勝ち負けを問わず)より一層温まるので、当然やる気も増してくる。
ゲームデザインの場合には具体的な対価のやり取りの点で、色々とハードルがあるのだけど(少額決済とか詐称のリスクとか)、その辺りの話も昔と比べれば随分と難易度は下がってきている。既存のギャンブルのビジネスモデルを参考に、今のゲームのデザインを構築していくっていう時代も、もう間もなく......というかすでに来ているのかもしれないな。
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