「テレビを見るとバカになる」という言葉、いまむかし

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そういえば確かに前世紀、1970年代から80年代、もう少し90年代も入るかな、ぐらいの社会文化周りのリサーチをしていた時に、「テレビを見るとバカになる」なるフレーズがちらほらあった記憶がある。古本屋か何かの窓に大きくその言い回しが書かれた貼り紙が貼ってあり、「これはテレビにお客を取られた本屋さんなどが主張していたのかな」と思ったけれど。

もう少し大きなとらえ方で、テレビのバラエティ番組のマネをしたり、ずっとテレビの前に居て夢中になって勉強をしなくなるのを危惧した大人たちのお叱りの言葉でもあったのかな、と考えると道理は通る。もったいないお化けとか、夜に爪を切ると親の死に目に会えないとかいう話と同じなのかな、と。

ただ、昔はバラエティ番組などを指して「テレビを見ると」だったのが、今ではニュースバラエティをはじめとしたさまざまな情報番組を多分に意味するのだから、時代の流れというのはある意味恐ろしいなという感は否めない。


これは以前に「ニュースステーション」(今の報道ステーション)が「情報バラエティ」というジャンルを新設し、ニュースとエンタメをごちゃまぜにして「ニュースのような信ぴょう性、注意の引きつけ」と「エンタメの創作性、作りやすさ、作り手の意図の折り込みやすさ」をカオス化させ、プレスとオピニオンの良いところ取りをするスタイルを成し、それが視聴率的に大成功を収めてしまったのがトリガーになったという話をしたけど、その結果によるものなのだろうな、という気がする。そして「広い意味でのバラエティ的なものに問題がある」との指摘もまた、間違ってはいないのだろう。

米国では先の大統領選で組織・企業単位で支持政党や支持候補者を明言し、それに沿った情報公知をする「エンドースメント」を大胆に行い、公明正大な「報道」と分けて行ったと主張をしているけれど、視聴者からすればそんな仕切り分けなど分かるはずも無い。わざわざ全画面、新聞の記事毎に大きく「これはエンドースメントに基づいた情報です」「これはプレスとしての、中立な立場としての情報です」と記されていない以上、ごちゃまぜにしていたものとして、あえて受け手に錯誤を与えるためのやり方と指摘されても否定はできない。

それと同じ事が日本のテレビや新聞などの情報系のコンテンツでは、プレスとオピニオンのごちゃまぜ的な形で起きている......ということなのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2017年3月12日 07:34に書いた記事です。

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