誰かが建てた家に住んで、誰かが縫製した服を着て、誰かが作った食品を食べている。人間はいつも誰かに助けられている。
— こめこめ (@kome_kome) 2017年3月12日
自分にできないことを他人にやってもらうためにお金を出すのであって、お金を持ってる方が偉いわけじゃないのにそれを忘れちゃう人が多いのは何故なんだろう。
— Bernardo Domorno (@Dominique_Domon) 2017年3月12日
あなたやわたしの給料も、他の誰かが自分ではできないことを代わりにやることでもらっている。
お金ってのは人が生み出したモノスゴイ発明で、色々な物品やサービス、さらには人の時間をも指標化できる、さまざまな価値の具象化ツールであり、さらにはそれを時間軸を超えて場所をほとんど取らずに蓄積することすら可能となる。お金を汚らわしいものとして認識する価値観があるのは否定しないけど、それは包丁は人を斬るかもしれないので危険だから使わない、料理でも用いるのは良くないと避けるぐらいに愚かなお話。
他方、お金は持っていることで多様なモノを得ることができるけど、そのモノは空から降ってわいたものじゃなく、誰か別の人が作ったり持っていたもの。それを譲ってもらったりやってもらったりするための対価としてお金が存在する。価値の表明でもあるわけだ。そしてそれは同時に、対価を支払ってはいても相手に助けられたことをも意味する。代金払ったからそれは当然の話だ、で締めるよりは、誰かに助けられたとの認識で、感謝をする方が理にかなっている。買い物をした時に「ありがとうございました」と言った方が気持ちが良いって話を以前にしたけど、まさにそれ。
お金は確かにあればあるに越したことは無い。自由度が高まるし選択肢も増えるし、イヤなことをする必要性もグンと減るし、何かあった時の対応もしやすくなる。でもそれは安全性が高まるとかやりたいことがやりやすくなるだけであり、その人自体が偉くなったわけじゃない。あえていえば、そのお金を得る過程で成した所業そのものが偉いことだったので、その評価としてお金を得る事が出来たと考えた方が良い。
お金をたくさん得た人が、時として豹変して人間の本質から外れてしまう、奇妙な方向性の行動を成してしまうってケースは少なくない。お金の魔性に取りつかれたという表現もできるけれど、むしろその人の本質が見えた、タガが外れて正体が暴露されたと考えた方がよいのかもしれない。
コメントする