トップジャーナル、カンファレンスはwebでいうところのポータルサイトで、今後は個別論文のSEOの時代になる、というかすでになりつつあると思うよ。その次はAIが読みやすいように論文を書く時代。
— 稲見昌彦 Masahiko Inami (@drinami) 2017年3月11日
@drinami 近未来の「理科系の作文技術」って機械(サーチエンジンや翻訳エンジン)に読ませやすい記述法になるかもね。
— 稲見昌彦 Masahiko Inami (@drinami) 2017年3月11日
「個別論文のSEO(サーチエンジン向けの最適化施策)」とは言い得て妙な話。物事を整理整頓するための仕組みとして集約される場があれば、その場で注目を集めやすい手法は重宝されるのは当然。同じ内容、品質ならば、先にピックアップされた方が勝ちって話。同じ価格で同じ美味しさのラーメンを出す店ならば、分かりやすい場所にあって宣伝をがっつりとしてる店の方が、お客は入りやすい。
で、トップジャーナルやらカンファレンスやらでもAIに作業をお任せするケースが増えてくるとなれば、当然そのAIが精査しやすい、目に留めやすいスタイルが求められることになる。まぁその前に、そのAIが読みやすい様式を公開して、「こんな様式で書いてくれるとありがたい」的な話はなされるのだろうけど。
ただ、その状況が進んでくると、内容よりもAIに読んでもらうように色々と手を加える作業の方が、論文の注力の上で重点が置かれてしまうようになる。人間の本質、仕事の出来栄えではなく上司にウケが良いような態度を取ることで、上司に人事面で高く評価される、みたいな。それでいいのかな、という気もするけど。
その方向性でさらに進むと、それこそワードサラダ的な内容でもテンプレートのような「読ませやすい」文章が優先される事になりかねない。結局最後には人の目によるチェックが必要になるのだろう。また、「機械に読ませやすい記述法」に置換する専門家が登場し、対価を得られる時代もやってくる。さらにそこから進み、その「読ませやすい記述法への置換」すら機械化するのだろう......
...ってこれ実はすでに半ば、検索エンジン対策の世界で起きている事。結局、人が楽をしようとするために技術を導入すると、その技術に頼り切りになればなるほど、その様式を悪用する人が出てきて、イタチごっことなってしまう。人間のような内容の精査、判断ができれば話は別だけど、そこまで行き着くAIを作れるようになるのは、まだずっと先の話ではある。
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