「安全だが安心じゃない」っておかしな話だよな。安全は安心を生むが、安心は安全を生まない。「安心じゃない」じゃなくて「気に食わない」だろそれは。
— マルキン (@ma_ru_kin) 2017年3月14日
「 「豊洲が風評に負けて放置されるのは、科学が風評に負けたことになる。これはまさに国辱だ。世界に(対して)日本が恥をかくことになる」と同じように、ピンとくる科学系、論理的なパワーワード。安全は安心を生む。その過程で指導者、リーダーの力が、そして公知するさまざまな媒体、メディアの力が求められる。
他方、いくら安心しても安全は生まれない。大丈夫だ大丈夫だと思っていても、実情が悪化するばかりなら、状況は好転せず、悪化し、破たんは起きる。虫歯で歯が痛いのに「これは気のせい、大丈夫だ」と思って放置していると、悪化してえらいことになるのと同じ。「虫歯じゃないから大丈夫」と思うだけで虫歯が治るわけじゃないよね。
「安全だが安心は認めず」ってもうほんと丸っきり100%完璧に一分の隙もなく福島の放射能差別と一緒じゃないですか。この都知事は頭がおかしい。
— tadataru (@tadataru) 2017年3月14日
「安全だが安心ではない」
— ユーリー (@Yuriy_Julius) 2017年3月15日
こんな言葉を公的に発して政治が動いてしまったというのは、汚点以外の何モノでもない。気に食わないものを幾らでも排除出来る道筋を産み出してしまった。
理科離れは国を亡ぼすとずっと前から主張してるけど,「安全だけど安心ではない」はまさに国を亡ぼす要因だと思う.科学の素養が皆無なのに声だけ大きい人間を安心させるためだけにに凄まじいコストを払う必要があるのだよ.
— かずっち (@kazucchi4465) 2017年3月15日
今件、つまり現都知事と愉快な、もとい赤いな仲間たちによる「安全だが安心ではない」発言は、マッチポンプもさることながら、科学や数理の軽視、感情論の振り回し、事実の軽視ということに直結する。それは震災後の被災地差別と何ら変わるところはない。
そして感情論は物差しで測ることができないので、どのようにでも自在にコントロールできる。極論として相手の感情論に対し、受け手側も感情論で殴り返すことだって正当化されてしまう。それは単なる野蛮人の世界でしかないのだよね。
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