案外見落とされていることだがSF映画やアニメの中ではある程度「意図的に」制作当時のポピュラーなガジェットが使われる。攻殻機動隊の「アンテナ付きガラケー」やエイリアンの「エレベータ」などは未来が予想できなかったというよりも、見る人にリアリティを与えるための演出だと見るべきかと。
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) 2017年3月18日
宇宙兄弟でも、意図的にそうしています。ガジェットが未来的すぎるとそれの説明を読者が必要と感じる場合があるので。 https://t.co/2ZjSUNKMYm
— 佐渡島 庸平(コルク代表) (@sadycork) 2017年3月18日
作り手からの意見として指摘表明されるともの凄く納得するし、思い返すと「ああ、あれはやっぱりそうだったのか」というお話。時系列的に自分達が生活している世界の未来に直結するものとか、ちょいと軸はずれているけど似たような世界線的なものの未来の物語で、何から何まで先の世界、未来のモノばかりだと、なんだかすごいけど別の世界って感じだなという雰囲気しかなく、一種の断絶感というか、絵空事というとらえ方をしてしまう。
そこに自分達が知っているモノが確認できると、ああこの世界は自分達とつながっているという、安心感やリアリティを覚えることができる。今の自分と作品との間に、その「知っているモノ」が架け橋となってくれる。
実際には技術や概念の変化進歩があると、今のさまざまな仕組みが影も形も無くなっている可能性がある。そのような未来の仕組みを今の人が観たら、何をやっているのか分からないってことも多分にあるのだろう。江戸時代とか戦国時代の人が現在にタイムスリップして周囲の実情に触れたり、逆に現在の人が昔にタイムスリップしてその技術を昔の人に見せた時に、何をしているのか分からないってのと同じ。その状況下では、今と昔につながりがあるとは認識し難い。
そのつながりを得るための架け橋が、時を超えて(それらしく)残っている仕組みや造形なのだな。
......もっとも分かりやすい例は「猿の惑星」のラストシーンかな。
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