「フェイクニュースは危険」とフェイクニュースを発信する側が注意喚起する時代、情報が大量にあふれ出て自ら精査能力が求められる時代

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個人的には「元々そうだったのが暴露されやすくなった」「経年劣化と、世代交代の際の技術引継ぎがいい加減だった」の双方で、前者が圧倒的に比率としては高いかなあというのが実情なんだけど。大意や印象も情報であることを合わせ考えると、印象操作や意図的な編集もまた、誤解釈を意図した偽情報、フェイクニュースに他ならないなという感は否めない。信用して、たまにはミスするけど勘弁して、という許容領域をすでに超えている。

無論人間がやることだからまったくの中立公明正大なんてことはありえない。多少のぶれは許容されうる。ただし昨今の話......というかもう数年来どんどん増殖している感のある状況は、標準偏差ならば3σクラスの話が毎日起きているような感じ。ブラックスワンが一個旅団単位で毎日おしかけるような、そんな雰囲気。それはぶれとか誤差で納得できるものではない。


「ファクトチェック」「フェイクニュース」周りを日本の新聞やテレビ界隈が言い出したのも少なからずは「自分達は疑われているかもしれないけどそうじゃない」という意思表示があるんだろうけど、結局のところ泥棒が警察機構を運用するようなもので、あっという間に言葉が陳腐化してしまった。「お前が言うな」的なもの。

指摘で使われている玉石混合なる言葉は、ネット上で拾える情報だけでなく、主要メディアから発信された情報も合わせ、とした方がよいのだろう。要はルートで情報の真偽を確定づける時代は終わった、むしろ元々そんなことは無かったのだが、それが明らかになったということなのだろうな。


この辺りを見ているだけでも、昔の「新聞を疑え」という産経新聞のキャッチコピーが、ネタでも皮肉でも何でもなくなったような気がするのだな。

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このページは、不破雷蔵が2017年3月27日 07:58に書いた記事です。

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