っていうか、ここ最近、一流と呼ばれるジャーナリズムが、政治報道に関しては完全に「お前デマ流しまくり」とか「完全に意図的に情報を切り取って報道しすぎ」とか「そんなゴミに土下座してネタもらってんのかよ」とかが明らかになって、もう信用もクソもないっていうのが問題。
— 鐘の音(政治社会) (@kanenooto8459) 2017年3月25日
個人的には「元々そうだったのが暴露されやすくなった」「経年劣化と、世代交代の際の技術引継ぎがいい加減だった」の双方で、前者が圧倒的に比率としては高いかなあというのが実情なんだけど。大意や印象も情報であることを合わせ考えると、印象操作や意図的な編集もまた、誤解釈を意図した偽情報、フェイクニュースに他ならないなという感は否めない。信用して、たまにはミスするけど勘弁して、という許容領域をすでに超えている。
無論人間がやることだからまったくの中立公明正大なんてことはありえない。多少のぶれは許容されうる。ただし昨今の話......というかもう数年来どんどん増殖している感のある状況は、標準偏差ならば3σクラスの話が毎日起きているような感じ。ブラックスワンが一個旅団単位で毎日おしかけるような、そんな雰囲気。それはぶれとか誤差で納得できるものではない。
ネットの情報は精査されずに好きなこと書けるから玉石混合、大手メディアからの情報は何らかの方針によって取捨選択された結果のものだからそれが全てと鵜呑みにしてはならない、かつてこれほどまでに情報を受け取る側にスキルが必要とされた時代があったりだろうか。
— あらあら(筋トレはいいぞ) (@wasmachstdujetz) 2017年3月25日
「ファクトチェック」「フェイクニュース」周りを日本の新聞やテレビ界隈が言い出したのも少なからずは「自分達は疑われているかもしれないけどそうじゃない」という意思表示があるんだろうけど、結局のところ泥棒が警察機構を運用するようなもので、あっという間に言葉が陳腐化してしまった。「お前が言うな」的なもの。
指摘で使われている玉石混合なる言葉は、ネット上で拾える情報だけでなく、主要メディアから発信された情報も合わせ、とした方がよいのだろう。要はルートで情報の真偽を確定づける時代は終わった、むしろ元々そんなことは無かったのだが、それが明らかになったということなのだろうな。
これだけ薄弱な根拠でここまで「辞任まったなし」みたいな印象操作をするとは、やっぱり朝日新聞は大昔からこんなことやってたって感じだなぁ。 https://t.co/OjhM95srf5
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年3月25日
しかし、「どんどん怪しげな疑惑は出すが、それが嘘であっても責任はとらない。疑惑は【ないと主張する側】が証明してみせろ」と首相を吊し上げて、濡れ衣社会を到来させた人達こそが、民主主義を殺してるだろ
— ニワカは相手にならんよ (@niwakaha) 2017年3月26日
根拠もなく「なんだか怪しい」という国民情緒を優先させ、政権転覆を狙っていたのだから
この辺りを見ているだけでも、昔の「新聞を疑え」という産経新聞のキャッチコピーが、ネタでも皮肉でも何でもなくなったような気がするのだな。
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