椿事件以上の現状と「私達は黙っています」的な報道やジャーナリスト、知識人界隈と

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椿事件当時は個人ベースでのインターネットによるコミュニケーションがなされていることは当然無く、それどころか当方自身も椿事件とは何ぞやを知ったのがここ数年での話であるのだけど、内容を読み返すに現状の学園に絡んだお話や豊洲市場関連だけでも、むしろ今の方がひどい状況にあるような気がする。

昨年頭の放送法に絡んだ高市総務相の発言には大騒ぎした報道各界もジャーナリストも文化人も知識人も有識者も、今件にはまったくといっていいほどおだんまりなのも清々しいほどに、当時のお騒ぎの実情が透けて見えてしまう。要は、反体制のツールとして有益ならば賛同、妨害しそうなものなら反対。単にその真相を暴露すると立場がなくなるので、色々と正当性のありそうな理屈をつけているだけ。

例えば税務署のトップの指示で、トップが自分の気に入らない企業にはそれこそ毎月のように税務監査に抜き打ち調査へと入り、トップが懇意にしているとか利益を一致する企業には脱税などの不正にも見て見ぬふりをする、といったことをしてはいけないのだよね。社会や法によって与えられた権限を、自分の思想や信条の物差しで行使する・しないの判断をしてはいけない。

判断はあくまでも、その権限を与えられるにいたった理由や、その権限の行使に関わるルールに基づいたものでなければならない。スピード違反の車に対して、運転手がカワイイから切符は切らない、この飲食店は嫌いな知人が経営しているから毎日張り込みして些細な違反でももりもり取り締まって客が寄り付かないようにしよう、とかしたら大問題でしょ? それと同じようなことが、平気で成されている。

あの時は「私達は怒っています」、今回は「私達は黙っています」。それでは今まで主張してきた報道とは何ぞや的なもの、その正当性や信ぴょう性、公正性、さらには社会性すら吹き飛んでしまうのだな。

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このページは、不破雷蔵が2017年3月30日 07:52に書いた記事です。

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