「工夫」とは、「人・モノ・カネ・時間」のうち余裕のあるリソースから不足しているリソースへの振替をすることでしかない、と言うのはもっと共有されるべき事実ですなあ https://t.co/JuR9lnsJjj
— K.Kawazoe (@_____zoe_____) 2017年3月29日
先日素晴らしい終わり方を見せたアニメ版の「けものフレンズ」の制作体制から転じて、予算が足りなくても良いものは作れる云々という斜め上的な話が出てきたのと共に、それへのツッコミも多々見受けられた。そのツッコミの中に、頭のなかにあったもやもやというか言葉に上手く体現化できなかったものを、スパッと一刀両断する形で具象化してくれたのが、このお話。記事タイトルにもしちゃったぐらい。
そうそうこれこれ、要はこれを言いたかった。そしてこれらのうちお金以外はすべて、ある程度はお金という指標、物差しへと置換できるものでもあるのだな。もちろん人月計算で単純にあれこれできるものばかりではないから、例えば1人で10日かけて作ったものを10人で1日にて出来るかっていうと、そう単純なものでもないのだけど。
予算が足りない「けれども」いいモノが作れた、という事例を、予算が足りない「からこそ」いいモノが作れた、と勘違いしたり強弁したりするのは問題だよなぁ。昨日の『ときメモ』なんかの例もそうだけど、肝心なのは「予算がない」事ではなく「その分制約や干渉もなかった」事の方なんだから。
— 葛西伸哉 (@kasai_sinya) 2017年3月29日
作れませんよ。
— KGN (@KGN_works) 2017年3月29日
カネが無ければ何も作れません。
十分な休息を取っていない人の頭からは良いアイディアは出てきません(それどころかエラーばかり出てくる)
この現実から目を背けるための邪教が「工夫と努力で予算不足は乗り越えられる」教ですねえ... https://t.co/dtgWvVmUNL
お金ってのは色々なものに置換できる魔法のアイテム。というよりは元々そういう役割を果たすために生まれた概念であり、紙幣や硬貨はその概念をやり取りするためのツールでしかない。予算が無い、お金がないっては、軍事でも将棋でもスポーツでもいいのだけど、手ごまが無いってのと同じなんだよね。その状態で何とかしろってのは冒頭での言及の通り、他の余っているリソースをもってこなきゃならなくなるし、それが無ければどうしようもない。精神力は無限大とか馬鹿なことを言っている人もいるけど、その精神力もお金が無ければ継続は不可能。生活もできなくなるのだから。ゼロからは何もわいてこない。
「足らぬ」を創意工夫で乗り越えるというのはある。ただ、それは、本来なら用意できるものも渡さずに「ケチ」った上で「創意工夫で乗り越えろ!」と号令をかけるような事であってはならない。
— タクラミックス (@takuramix) 2017年3月30日
短期的にはそれでうまくいくかもしれないが、その成功体験こそは麻薬のようなもので、滅びへの一本道だ。
承前)持てるリソースを絞りきって挑んで、その果てにある「創意工夫で乗り越える」をやった場合と、出せるものを出し惜しみケチった上での「創意工夫で乗り越える」は全くの別物で、死力を尽くして競争しとる世界で勝ち残るのはどっち?というのは、言うまでもない事なのですよ。
— タクラミックス (@takuramix) 2017年3月30日
お金なくても大きな一仕事しようと思ったら
— ものの腐ごりえ (@gorie666) 2017年3月30日
時間がすごい必要な気がする
それかそれらを補填する情熱とそれを支える体力
お金がないと何も出来ないとか言いたくないけど
やっぱりアルミのロケットで月にはいけないわけで
何事にも限度はあるなあと
「そんなことはない、カネは無くとも何とかなる」という妄言が見受けられますが。
— KGN (@KGN_works) 2017年3月30日
その「必要なカネ」には働く人間の賃金が含まれるって事を、見事なまでに忘れてますなあ...コストには人件費を含むんですよ、本来。
現代日本で生きて行くにはカネがないとどうにもならんのですよ。
「食って行けないなら、そいつは仕事じゃない。道楽である」
— KGN (@KGN_works) 2017年3月30日
霞食って生きられるはずもなし。
ホントにカネもなく空きっ腹を抱えて、空の冷蔵庫をむなしく眺めてしゃがみこむ生活を半年も続けた後でも「好きな仕事ならカネの事なんか関係ない」と言える奴だけが、御高説垂れてくれたまえよ。
— KGN (@KGN_works) 2017年3月30日
高校時代でしたが食い物が無い生活を経験しちゃうと、さすがにそんなアホは言う気になりません。
足りないお金、リソースをどうにか工夫で乗り越えられることはあっても、それは他の部分をやりくりしただけであり、短期的な穴埋め、応急措置でしかない。以前も触れたけど「今回は赤が出る、採算度外視な支払いだけど、これをきっかけに関係が......」と思って安い対価で引き受けると、それが上限となってしまう云々の話でも、これと似たような雰囲気がある。お金は下賤だ、きれいなものじゃないから、深く考えてはいけない、口に出してはいけない、主張してはいけない、的な。
指摘されている通り、人は仙人ではないのだから霞を食べていけるわけじゃない。「食って行けないなら、そいつは仕事じゃない。道楽である」はまさに至言に他ならず。見方を変えると対価ってのは仕事の報酬・評価であると共に、相手の仕事を支えるためのエネルギーでもあるのだよね。
コメントする