ツイッターをやって良かったと思う数少ない事の一つが、世の中には文脈なんて読み込む事が出来ない人が殊の外に多数派であり、賛否を問わず主張を理解しようという人は極めて稀であるということがわかったということ。これを理解して以降、ストレスはぐっと減った。
— 不確実性下の中田大悟 (@dig_nkt_v2) 2017年4月1日
「話せばわかる」「問答無用」ってのは五・一五事件でのやり取りで有名だけど(本当はもう少し長い)、世の中には道理が通らない、いや、自分の中の道理を真理と断じて、事実や他の人の真理(しかも自身の真理と相反せずに共存できる)の存在を認めない人がいる。いる、どころか相当数に登る。All or Nothingではなく、ある項目ではそのようなことは無いとする人でも、別の特定項目では「話せばわかる」が通用しない人も少なくない。
さらに文脈の理解ができるか否かとなると、多数派か否かはともかく、相当数いることは間違いない。ツイッターってのは原則140文字だから、その中での言葉の意味合いを把握すればよいのだけど、それすらできない人がいる。また、1ツイートで首を傾げる内容だった場合、そのアカウントをたどって過去の発言を確認したり、せめて前後のつながりを検証するという、ツイッターに限らず会話なり閲読をする際には欠かせないプロセスをふっ飛ばして、条件反射をするパターンも少なくない。
自分の常識、さらには世間一般の常識がすべての人に当てはまるとは限らない。これを理解......というか概念として把握しておくと、ずいぶんと気は楽になる。例の「お前が思うのならそうなんだろう、お前の中ではな」を返答として使えばよいケースといえるかな。
懇切丁寧に話せば誰にでも伝わる、なんてのは幻想に過ぎない。分かろうとしない人には絶対に伝わらないし、結論を決めてかかっている人を相手にはそもそも時間の無駄でもある。だから、自分なりに誠心誠意を込めて説明して、後は相手の好きに任せる。これが最も誠実な行動だと思うようになった。
— 不確実性下の中田大悟 (@dig_nkt_v2) 2017年4月1日
人は超能力者でも神のようなカリスマを持つわけでもないのだから、自分の伝えたいことを万人に伝え、理解してもらえるなんてことを考えるだけ、リソースの無駄となる。ダメならダメで仕方がない。相手が初めから扉を閉めているどころか、扉を溶接していたり、さらには壁に扉の絵を描いているだけだったりすることもある。やるべきことをやり、それでだめなら素直に引いて、他の方面へのリソース投入に転じる。これが自分にとって、そして周囲にとっても最適の選択肢なのだろう。
はじめからおかしな結論を持つ属性からは引いて、その影響が他に広がらないように模索した方が建設的。元から断つのは疲れるし無理っぽいから、震源から離れて周囲の人に近づかないように促すのが無難。
ただ経験則としてこのように引いた場合、後になってなぜ指摘してくれなかったとか逆切れ、逆恨みをしてくることがある。その時は一言「知らんがな」でよいのだろう。
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