ちゃうねん。昔の残業は「100人で業績を2割伸ばすための仕事増加と創意工夫」で、今の残業は「100人でやる仕事を70人でこなすためのコスト削減」なんよ。同じ残業でも意義と目的が全く違うんよ。 https://t.co/4vVsaJtBvq
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年4月5日
無論すべてがこの指摘の通りであるとは限らないのだけど、多分に納得できてしまった指摘。昔はプラスαのための、計画に上乗せするための残業だったのが、今ではマイナスをプラマイゼロにするための、計画未達を計画通りにするための残業であるとの話。これではモチベーションも違ってくるし、企業全体としての動向も別のものとなる。就業者の対価面だけで考えても、昔は定時帰社でも相応に生活できていて残業をすれば余裕がかなりできた、今は残業をしてその手当でなんとか生活...というパターンは少なくないってのも裏付けとなる。
仮に今も昔も「残業が多い=新しいことを勉強してる暇がない」が正しく、それが「日本企業の凋落原因」なら、高度経済成長期の猛烈残業時代も日本企業は衰退しなきゃおかしいけどそうなってない。昔は成長の為の残業、今はコスト削減の為の残業...残業の質の違いが重要。 https://t.co/jhdGUJwxqD
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年4月5日
高度経済成長期の日本企業の残業って、新技術導入や新理論導入のための残業なんてものがたくさんあった。需要に供給が追い付かずに人員を急激に増やしつつ、海外との競争のために新しい技術や理論を勉強してた...残業して。日本製品を世界一にしたQC(品質管理)だって、残業がささえてたんよ。 https://t.co/p6mwDx63jU
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年4月5日
急激な成長局面で人員増をしてもなお"自然発生"してしまう「プラスの残業」と、景気低迷のデフレ局面でコスト削減を実現するために"意図的に発生"させた「マイナスの残業」は、文字にしてしまえば同じだけど、中身は完全に別物に近い。現在発生している残業の多くは後者「負の残業」 https://t.co/9vFlpb1Z6L
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年4月5日
.@_Jelis 昔の残業は「プラスの残業」なので、やればやるだけ評価された訳で、この感覚で今の残業語るから偉い人の話は意味不明になる。今の残業は「残業しなければノルマが達成できない負の残業」で、残業が増えても会社は成長しません。で、昔の人は「成長しない=努力が足りない」になる。
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年4月5日
しないのじゃなくて『出来ない』のです...デフレだから。 https://t.co/zFvdieKXyO
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年4月5日
この辺りの違いって、結局何が問題なのか。デフレだからとの結論で、それは確かに一理ある。そのまま普通の計画通りでは価値が下がってしまうので、価値を維持するためには計画以上のことを成し遂げる必要があり、それは結局マイナスからゼロに引き上げるための補完的な残業が必要になるわけだ。
ただ個人的には計画を立案する経営陣の能力不足が多分にあるのではないかなという気もする。現在の経団連などの経済界の重鎮の語りが多分に現状とかい離しているところを見ると、まったく的外れなものとも言い難いのだよね。昔の概念をそのまま固定化しているような。いわゆる老が、もとい「時代の流れによる環境変化に対応できない適応不全症候群」のような感じではある。
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