提言:公的な記者会見の場では、質問者は必ず自分の所属と実名を語ってから質問をするよう徹底すること(聞いたら反復して確認するのが望ましい)。語らない場合は質問に答える義務はないぐらいで良いと思います。遵守させることで、議事録を精査すれば誰の発言かを明確に確認できるようになるのです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年4月5日
以前財務省の議事録に関して問い合わせをした時も曖昧な回答で、結局状況に変わりは無かったことから、公的機関における議事録では委員会や協議会のような少数の特定招集者による会合のものでない限り、発言者側がどのような人なのかは特定する形で記載はされず、単に「記者」とのみで記述されるようだ。
これって文字起こしを実際にしたことがある人なら分かると思うのだけど、結構面倒くさいのだよね、誰がどの発言をしたのかを特定づけるのって。だから仕方がない面もある。他方、今件(後述)のように、記者がどのような人物かを確認することで、色々と新たな事実が判明することもある。今件はたまたま動画をもとに判断ができたわけだけど、すべてにおいてそういう好条件が整うとは限らない。
そこで。議事録では一部見た事もあるのだけど、質問の際に自らの所属と氏名を語り明らかにすることで、それ自身も議事録に記録され、その後の発言がその人のものによるということが明確化される。これなら議事録作成上の慣習を維持したままで、やりとりがより明確化される。
なので、記事タイトルにある通り、公的な場における質疑応答では質問者はかならず自分の所属・身分と名前を明らかにした上で発言をすること、身元を明示しない相手には対応する責務は無いとするのを明確化、徹底させることを望みたい。そして議事録ではその言及もしっかりと記録する事。
...というか、これって報道云々以前の、社会人として当然のルールではないかと思うのだけど。
今村復興大臣閣議後記者会見録(平成29年4月4日(火)1000~1015 於)復興庁記者会見室)(復興庁) https://t.co/jzT1Y2ceux 例の「10回ほども」は後半部分。これはひどい。想像以上でした(切り抜きは後半該当部分)。 pic.twitter.com/ywKWiCvgU3
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年4月5日
該当記者の背景や、今件行動に・同意や賛美の声を挙げた報道関係者の動きも合わせ、色々と考えさせられます。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年4月5日
止めなかった周囲の記者も何をしていたのでしょうか。そもそもこのような人物が会見場に在席できた理由も合わせ、今の「報道業界」の実体を教えてくれそうな資料ですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年4月5日
既に一回答えた同じ質問を一〇回繰り返すのが記者として当たり前の仕事なんですかねぇ(笑)。まあ、マスコミ界隈には世間と違う常識があるんだろう。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
つかもう既に「こんな奴らが記事書いてるなら、録音機器をPCにつないでおいたほうがよっぽどマシ」くらいに思われ始めてるんだけどな。現に「マスコミの報道は一次情報に当たらないと判断出来ない」とまで言われている。これ、報道の意義の崩壊でしょ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
今回の問題だって、マスコミの報道は大臣の問題発言みたいな筋書き一色で、それはおかしいだろって話になったのは会見全体の映像や書き起こしが出たからでしょ。一次情報全部見ないと判断出来ないなら報道要らんやん。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
最低限、マスコミのお手盛りの「面白い話」なんて要らんから、大臣がキレたならそこだけじゃなくてダイジェストでいいから一〇回同じ質問した記者も取り上げろよって話でしょ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
そこつまんで大臣がキレた絵だけ使うのがマスコミの報道なら、そんな報道要らんわって話にしかならんだろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
あの変な活動家だかジャーナリストだかの話で、他の記者が黙って見ていたのかって話があったけど、そこ重要だよね。普通は一人で同じ質問一〇回もくり返したら他の記者の質問時間や回数が減るわけだから口々に「いい加減にしろよ」くらい言い出してもおかしくないけど、みんな黙って見てたんでしょ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
お飾り大臣が真面目に面白くない記者会見するのをちゃんと伝えることよりも、ヤクザみたいな奴が吹っかけた因縁で大臣がキレた絵のほうが面白いからそっちを選んじゃったんでしょ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
何が報道だよ、その料簡は雛壇芸人並べたバラエティ番組と選ぶところがない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
活動家がフリージャーナリストの肩書きで記者会見に紛れ込んで演説ぶってるのに記者連中が非常識な詰問を制止しなかったってことは、つまるところ政治ジャーナリストと活動家の区別が曖昧になってきたってことなのかね。元々大した違いはなかったわけだが。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月5日
肝心の「今件」はこの通り。すでにあちこちで語られているので詳細は改めて解説せず、ツイートの引用を読み解けば大よそ理解はできる。公人の時間は国税によって賄われたもので、その浪費をさせる行動は許されざるべきものでしかなく。
そして指摘の通り、報道が求められている社会的役割を果たさない状態であることをむしろ誇らしげにしているのがいかんともしがたい。水をろ過しなくなったフィルターとか、まともな通信ができなくなったルーターとか、無茶苦茶な訳を語る翻訳とか、そんな感じ。
「記者の質問は国民質問だ。それにウルサイ!と言うのは国民にウルサイと言ってるのと同じだ!」と息巻いてる方がいらっしゃるが、国務大臣こそが名実ともに「国民の代表」であることをお忘れですよ。
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2017年4月5日
あとはこれかな。記者やらジャーナリストやらといった報道が国民の意思とか総意である云々とのお話もあるけど、誰もそれを選んじゃいないし、公的な資格によるものでもない。ぶちゃけると自称でしかないのだな。国務大臣などのような国民の代表と同列に扱うのは論理的におかしいわけだ。さらに今件は実質活動家であり、なぜそのような人物があの場に入れたのかが不思議なところではある。
コメントする