前についったで『片付け後の写真を貼っておく事で、子供が片付けをする時にどういう状態にすればいいのかがわかる』ってのを見て少し前から実践してるのだけど、毎日この状態をキープしていて感動している。前までは長女本人が「片付けた」って言っても、机の上に物が散らばったままだったりしてた。 pic.twitter.com/e1LfWJWq7r
— なちゅ。↗︎ (@itacchiku) 2017年4月14日
ちょっと前にツイッター上で「指図した側の思惑が上手く伝わらない、抽象的すぎて受け取り側が上手く対応できない」といった問題を、ある病症に関わる話と絡めたり、むしろそれは汎用的にありがちなことだよねということで話題に登ったことがあった。それに近しいものではあるし、相手との間柄がテレパシーを使っているのではと思うほどのツーカーの中で無ければ、具体的に指図するのが一番無難で分かりやすく、しかももめごとも起こらない方法なのだなと実感させられるお話。
写真やツイート内容を見ればすぐに理解はできると思うのだけど。要は「単に片付けろと指図しても具体的にどのような状態かを理解しがたいし、指図側と受け手側の解釈にギャップがある」「だから『片付ける』という抽象的な表現では無く『このようにしろ』と具体的な例を示すことで、それをなぞる形で実践できる」というもの。
よくあるケースが「適当にやっといて」とか「大よその範囲でいいから」といったもの。具体的な指示が無いと、自己判断に任せる部分で相手の期待に違う選択をしてしまうことがあり、そのギャップで怒られる、失望されてしまうケースもある。
当方もいまだに小学生の時の、「方眼紙にコンパスで半円を大きく書き、その線が載った部分も含めて内側の領域のマスを塗りましょう」と授業で言われた際に(円の面積の求め方の概念の勉強だったような気がする)、先生側は5ミリ四方の大きな仕切りで行うように考えていた一方で、自分は1ミリの細かい仕切り分けでやっていたので、仕上がりが遅くて怒られ、ようやくできたら「自分の指示とは違う」としてまたも怒られたのを覚えている。当時は「理不尽」という言葉も意味も知らなかったけど、それに近しい感情が沸き上がった。同時に先生は絶対服従すべき対象だったから、何も反論はできなかったけど。
ともあれ、この「具体的な例を指し示す」ってのは覚えおく方法論には違いない。同時に「これが片付けたという状況なのだよ」と教え説くのも忘れずに。
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