消防団うどん店クレーム騒動は、日本人が不寛容だから起きたんじゃなくて、アホに寛容すぎるから起きるんだよ。アホがアホなこと言ってきたら「あ、そうですか。ふーん」って取り合わない、アホは切り捨ててただ喚かせとくのが一番の対処方法。
— akoustam (@akoustam) 2017年4月27日
災害発生時にはよく話題に登る、公務員や公共の仕事に就く人たちが食事をとっていたり休んでいたり、あるいは日常の社会に溶け込む形で足を踏み入れていると、クレームをつけて非難する筋がある。警察官や自衛隊員に対する一部界隈の、悪魔を見ているかのような反発ぶりは極端な例だろうけどあれも一因には違いないのかなと思いつつ。
今件を日本人が不寛容だからと指摘する声もあるけど、むしろ今ツイートで語られているように、元々不寛容な人ってのは一定確率で存在しており、その確率論的な存在である不寛容な人に寛容すぎるから生じてるのではないかな、という気がする。無論中には不寛容云々ではなく、適切な指摘、つまりクレームではなく意見具申的なものもあるし、それを見極めるのも聞く側に求められるのも事実だけど。
で、ツイートの引用は諸般事情でひかえるけど、可視化の問題だけでなく、不寛容な少数の人が大きな声を出せるツールが得られるようになったのが問題との話もあった。これは確かに道理が通る。そのツールとはネットであり、また報道である、と。
「消防車で団員が食事に」で謝罪 ネット「ご苦労様で済む話」 https://t.co/EumL9At8Fm 「16日夜に写真付きでうどん店に消防車があった、という抗議のメールが来た。同じような内容のメールがメディアにも送られていたため取材があり、あのような記事になった」
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
このニュース、J-CASTニュースは後追いと一次ソースへの裏取りをしたらしい点を評価。同じ内容のクレームをマスコミにも写真付きで同報されてしまっていては、握り潰すことはできず「謝らされる他ない」という。マスコミが些細な事を針小棒大に扱う権力になっている証しでもあるなあ。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
「記事に『制服』とありますが、あれは団員専用の作業着です。それを知っている人やご近所の方なら『お疲れ様』となる場合もありますが、不快に思われる人がいるというのも事実なのです」
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
作業服の上着を脱ぎ、消防車輌に「補給作業中」とか垂れ幕付けるしかないのかやっぱ(´・ω・`)
@azukiglg 人間の補給にクレームが来るということは、そのうち「消防車が給油のためにガソリンスタンドに行くのはけしからん。そんな時に火事が起きたらどうする」とかいうクレームが発生しそう。
— 熱湯安価/森ヶ崎正人 (@netanker) 2017年4月28日
恐らくだけど、今回メールをマスコミに送りつけたクレーマーは、「自分の正義をマスコミが容認し、消防団を謝らせた」という成功体験と自己正義の肯定感を得てしまっているので、恐らく同じことを繰り返す気がする。ニュースソースは保護されるから自分の身バレも心配ない。 @netanker
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
んで、マスコミはマスコミで、こういう「つまらないことでもいちいちクレームし、それを針小棒大にするようにたれ込んでくる【密告者】」を重宝する。社会正義だ、自分が言い出したのではない市民がそう言っているんだ、と言い訳に出来るから。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
だからマスコミは「クレーマー側に問題がある」という姿勢を【取れない】し、【取る気もない】。「公的存在の綱紀粛正を市民の監視の目の元にマスコミが担うのは当然の社会正義」くらいに考えるだろうから、モンスタークレーマーを寧ろ励行する。悪循環。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
モンスタークレーマー側も、自分がブログやらSNSやらで指摘すると、自分が身バレして炎上の中心に置かれてしまうが、マスコミにやらせれば自分がやるより大きな業火になり、なおかつ自分の身の安全は確保でき、自分が社会を動かしたという満足感は得られる。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
恐らくだけど、「保育園落ちた。日本死ね」とかに学んでいるんだと思う。自分でブログを書けば自分が槍玉に挙がる、SNSならアカ閉鎖に追い込まれるが、マスコミにチクれば自分は安全で自己肯定感は得られる、みたいなの。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
結果的に、こういうのが「安心のための非効率」を肯定する温床になっている。「ちょっとついでで制服で飯食ってた」のを、杓子定規にせざるを得なくなり、前例と手順とルールを守るための非効率を容認するが、その分のコストが保証されるわけじゃないから、結果・成果にしわ寄せがいく。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
「安心のための非効率」「作業手順の煩雑化や高コスト化」は、結局の所こうしたクレーマーによって【発見】され、マスコミが針小棒大に安心の揺らぎとやらを騒ぐことで【発明】される。「ご苦労様」の一言で片付くものが片付かないのは、神経質で考えすぎで心配症を増幅するマスコミが原因とは言える。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
このへん、豊洲問題なんかも同じで「安全より安心」「安心のための非効率がコストを押し上げる」押し上げられたコストは、機材費維持費それらを管理操作する人件費なんかも含まれるけど、割りに合わない「安心のための非効率」に金を払うのが皆厭だから、さらに「サービス残業」になって誰かに皺寄せが
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
問題は、この「安心を大義名分にした非効率社会」の【放火者】をつけあがらせているのは、誰なのかっていう話なんだよなあ。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
恐らく「社会正義を楯に自己の正義感、自己肯定感、陶酔感のためにクレームする放火者」は恐らく絶滅できない。
それなら、「そんなクレームは考えすぎだ」と諫める者がいれば済む話なんだけど、マスコミは「諫めずに記事にしてしまう」。マスコミが諫めずに放火者=クレーマーの放火を甚大に増幅してしまうのが、非効率社会の原因であると断定していいとは思う。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
では、マスコミが放火者の言い分を延焼させないということを期待できるのかというと、【娯楽としての社会正義】のネタが新聞の食い扶持になっている現状では困難だと思う。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
「日本死ね」のアレも、「豊洲問題」も、「消防団飯食うな」も、マスコミの姿勢は【娯楽としての社会正義】を満足させる為の記事作りになっていて、「社会的に如何なものか」みたいな部分は、娯楽性を隠すための後付け。
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
「消防団に限らないが、こうした組織に非効率な厳密を強いることは、本当に社会のためになるのか?」っていうのを、新聞社と消防団の双方に「善良な市民のクレーム」って形で問い合わせてみて、取材と記事化がなかったら新聞社の偏向でいんじゃね?w @the_thingX
— 加藤AZUKI@「超」怖い話怪顧 (@azukiglg) 2017年4月28日
考え直してみれば確率論的に存在する、変な意味での不寛容な人は、あくまでも少数なのだから、そのまま放置されれば問題はない。つまようじでぽちぽち叩かれるようなもの。それが拡大して巨大な棍棒となって殴られるのは勘弁こうむりたいので、頭を下げてしまう。変な話でも騒いだ者の勝ちとなり、不特定多数が損をする。以前言及した「グレーゾーンを欲張って我が物顔で歩いている人がドヤ顔するようになると、線引きが明確化され、皆が不幸になる」のと構図は似ている。
で、結局のところその辺りは、現在の報道の姿勢が大きな要因となるとの説明にはぐうの音も出なかったりする。「日本●ね」も豊洲問題も今件クローズアップされたモンクレも結局、マスコミの「私達は正義」による棍棒振り回しが悪しき方向への助力、パワーアップアイテムとなっているわけだな。
報道もこの類のチクリ的な「変な意味での不寛容な人」の声は「良かったね」としてスルーしてしまえば、スピーカーの役割を果たさなくて済む。今件のをはじめとした理不尽なバッシングの数々も少なくなるだろう。それをやらないのは、指摘の通り報道の独善主義というか、「社会を叩けば俺たちの正義の勝利」とする考えとイエロージャーナリズムが支配的になっているからなのだろうな。「飯のタネになるし、自らの確信的利益にかなうようなネタを、どうして無視ができるのか。『善良な』市民の声に耳を傾けないわけにはいかない」という感じだろうか。
いい加減公務員に「私たちの税金で食ってるくせに」とかいうのやめろ
— ✈海老吉✈(=゚ω゚)ノ厚木 (@ebikiti_shrimp) 2017年4月28日
税金を払って公務員に公務を委託してるのに
その筋が通るんならどの商売でも「私たちの払った金で食ってるくせに」が通用しちまうぞ
あと、今件のモンクレ的な話で気になったのがこの指摘。確かに「税金で食ってるくせに」って表現はよく考えてみるとおかしな話。例の「お客様は神様です」辺りにも通じる話なんだろうなあ、と思うと色々と根が深いような気はする。
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