報道の質が問題視されているのは歩留まりの悪さがキャパを超えているから

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歩留まりってのは要は失敗する可能性。生産ラインの稼働の中でどうしても生じる失敗の割合。これが悪いほど生産ラインや材料、手掛ける人に問題があり、改善をしないと全体の品質が悪くなるしコストも跳ね上がる。1000回ガチャを引いてもSSRが1回も出ないのは超歩留まりが悪いって感じ。

で、昨今の新聞界隈というか報道業界への失望させれる品質の悪さの暴露が相次いでいることに関し、良い人たちもいる、良い記事もあるという指摘がある。数年前にも科学方面で報道界隈内部からそんな話もあったよね、と思いながら。

でも指摘されている通り、良いものもあるよねというレベルで許容されるような話では無いのだな。自負している歩留まりと実際の歩留まりとの差異が違い過ぎる。あるいは報道内部では素晴らしい歩留まりの良さだと認識しているのかもしれないけれど、だとしたらその認識そのものが実情とはずれていることになる。


ゴミの中によいものも混じっているから勘弁して、ではお話にならないのだよね。しかも実情は、そのゴミですら素晴らしいものとして自称している。

人間ってのはリソースに限界があるから、無駄骨はなるべくおりたくない。確率論的に良いものを、正しいものをより多く拾えるものを選択する。歩留まりの悪いものは避けたくなる。良いものも混じっているから全体を忌避しないでくれってのは無理なお話。

歩留まりを完全にするってのは不可能で、どうしてもイレギュラー的なもの、ミスは生じうる。これは仕方がないし許容しなきゃいけない。ゼロリスク論は自らの首を絞めるだけ。ただ昨今の報道の場合は、歩留まりの悪さが許容範囲、誤差範囲を超えている事に加え、システムとしてそれが許される体制が新聞内部に出来上がってしまっているのが問題なわけなんだよね。

あるいは元々そんな状態でしかなく、昨今になってようやくその事実が明らかになってきただけなのかもしれないなあ。

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このページは、不破雷蔵が2017年4月30日 07:39に書いた記事です。

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