SNSが普及するまで、新聞メディアが何であんなひどい偏向報道をするのか、現場の記者たちはどう考えているのか疑問だったが、SNSの記者アカウントの夥しい炎上案件を鑑みるに、大した見識もなく莫迦な料簡で自己満足を追求した結果あんな体たらくなんだってわかって、まったく同情の余地がない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
全ての記事がXXなわけではなく、全ての記者がXXなわけでもない。素晴らしい記事もある。また、日付を間違えて印刷した話しは聴かないので、どの新聞社も設立以来、まちがいのない事実を書き続けてきたとも言える。 https://t.co/ak51EZyLn6
— ケイ(品川)@禁煙中 (@kei_shinagawa) 2017年4月29日
なんか停まってる時計も日に二回は正確な時刻を差すみたいな話をされてもな。 https://t.co/fRIqb28n0T
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
歩留まりってのは要は失敗する可能性。生産ラインの稼働の中でどうしても生じる失敗の割合。これが悪いほど生産ラインや材料、手掛ける人に問題があり、改善をしないと全体の品質が悪くなるしコストも跳ね上がる。1000回ガチャを引いてもSSRが1回も出ないのは超歩留まりが悪いって感じ。
で、昨今の新聞界隈というか報道業界への失望させれる品質の悪さの暴露が相次いでいることに関し、良い人たちもいる、良い記事もあるという指摘がある。数年前にも科学方面で報道界隈内部からそんな話もあったよね、と思いながら。
でも指摘されている通り、良いものもあるよねというレベルで許容されるような話では無いのだな。自負している歩留まりと実際の歩留まりとの差異が違い過ぎる。あるいは報道内部では素晴らしい歩留まりの良さだと認識しているのかもしれないけれど、だとしたらその認識そのものが実情とはずれていることになる。
報道機関に期待されている情報の品質とか精度ってそんなヌルいレベルじゃないだろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
有害なゴミの山の中にたまに一〇〇円玉とか五〇〇円玉が埋まってますよ、みたいな話をされても、カネ払ってトイレットペーパー一個にしかならない大量の紙ゴミを買わされているわけだから、全然引き合わないんだよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
しかもあの大量の紙ゴミ、多くの人が不幸になる差別を引き起こすデマを臆面もなく拡散するので、カネ払ってあんなもんを読む人の気が知れない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
「全ての記事がXXなわけではなく、全ての記者がXXなわけでもない。」うんそうだよね。でも九割九分XXなのって歩留まり悪過ぎだろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
なんで情報にカネ払ってるのに有害なゴミの山を掻き分けて僅かに役に立ちそうな情報を探す労力を受け手の側が払わないといかんのかね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年4月29日
ゴミの中によいものも混じっているから勘弁して、ではお話にならないのだよね。しかも実情は、そのゴミですら素晴らしいものとして自称している。
人間ってのはリソースに限界があるから、無駄骨はなるべくおりたくない。確率論的に良いものを、正しいものをより多く拾えるものを選択する。歩留まりの悪いものは避けたくなる。良いものも混じっているから全体を忌避しないでくれってのは無理なお話。
歩留まりを完全にするってのは不可能で、どうしてもイレギュラー的なもの、ミスは生じうる。これは仕方がないし許容しなきゃいけない。ゼロリスク論は自らの首を絞めるだけ。ただ昨今の報道の場合は、歩留まりの悪さが許容範囲、誤差範囲を超えている事に加え、システムとしてそれが許される体制が新聞内部に出来上がってしまっているのが問題なわけなんだよね。
あるいは元々そんな状態でしかなく、昨今になってようやくその事実が明らかになってきただけなのかもしれないなあ。
コメントする