今度は猫の政治利用ですか...
— ㍿ 紳士 (@hide_luxe) 2017年5月6日
猫好き結集「肉球新党」吾輩は戦争法制反対である 共謀罪いらにゃい~東京新聞https://t.co/HoyKOArF4x
「猫が幸せに暮らせる社会は、人にも優しい」「東ニ解釈改憲ガアレバ/行ッテ猫パンチ/西ニ集団的自衛権容認アレバ/行ッテ爪ヲトギ」 pic.twitter.com/vDXQrpRYNE
猫は多くの人に愛される対象なので、その魅力を用いてマーケティングを成す方法をキャットマーケティングと呼ぶ......的な話は何度かしている。実際、猫を広告素材に使う手法は数多く見受けられるし、猫だけでなく人の代わりに動物に語らせる方法も珍しくは無い。
ただその方法も良かれあしかれで、踏み入れてはいけない領域ってのがある。明確な線引きは難しいのだけど、これはやっちゃいけないエリアのものだというのが分かるのが、今件の話。
ふたば掲示板とか2ちゃんねるでのネタ話程度ならまだ許容される、かもしれないけどそれを集団がこのような形で政治利用するってのは、いかがなものだろうか。
いや厳密にいうと、このような表現ですら、表現の自由の観念の上では許容されるべきものに違いない。ただ、この類の話を見聞きするたびに、その切り口で発信側の思惑通りに好感触を持ち同意感を抱いて賛同する人と、逆に嫌悪感を覚えたり引いてしまう人、どちらが多いのだろうか。
これは単純に逆の方向性だったらどうだろうかと考えれば、容易に理解はできるはずだ。対外侵略戦争賛成、隣国へどんどん攻め込んで征服せよ、軍事侵攻は正義なりなどと、猫に軍服を着せて語らせたら。あるいは別の話として、教育科学予算は全廃して社会福祉に当てるべきだニャーとか、たばこを全面廃止すべきだニャンとか。猫と関係ないし、勝手に猫を語らせるのは何事だとか、猫から了承を得たのかとか、ツッコミしたくなるのは別としても。まずは自分の言葉で語れ、猫の魅力をあらぬベクトルのものに用いるな、的な。
猫を使っているのは、多分に自己満足の領域を抜けでていないのではないだろうか。自意識高いというか、意識チャラい系と近しい香りもしてくるのだけど、当方だけだろうか。
コメントする