デマ屋にツッコミを入れると3コマで終わる法則(・ω・) pic.twitter.com/vCAg2OdiD1
— taka.iwata (@taka_x_taka) 2017年5月7日
データ数1とかで、危ない危ないとか騒ぐのはなんでだろう。モニタリングポストも多数あるのだし、それを信じないとしても、本当に線量が上がっていれば、このDoseRAE2の計測社以外で隠蔽できない個人で相当数の測定結果があって然るべきだし、それをしないなら完全にデマッターでしかない
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2017年5月7日
どうして、デマを流したくなるのだろう。しかも、そのデマを流す際に他力本願で、他人の情報に依存し自分で何かをしようとしていない。つまり、彼ら、彼女らはパソコンの前で、心はニヤニヤしながらお気楽にツイートしているのかもしれない
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2017年5月7日
無論デマを流す人たちの想い、意図がこれでしかないというわけでは無く、一つの可能性、状況であろうという話として。先日の紀伊民報でも問題視された火災に関わるデマのあれこれに関して、ツッコミをしたらすぐにブロックされた事をトリガーとして。この類のは震災直後から繰り返されてはいるのだけどねえ......。
n=1、つまり本人だけとか、自分の周辺だけとかのみで危ない危ないと大きな声を上げるのはなんなのだろうかというもの。指摘されている通り、自分以外の情報に目を向けることなく行動してしまうのは、周囲が世界支配層か何かに操られていると妄想しているのか、あるいは近所のカワイイ猫を撮った時のように「これで目立てる、注目を集められるネタが手に入った」さらには「これなら自分の主張がアピールできる」とでも思っているのだろうか。
それともやはり指摘の通り、認証欲求のためのネタとしてデマを流しているのかもしれない。それを自身が気が付いているのか、それとも無意識でなのかは別として。
似たような状況って何があるのかなと色々と考えたけど、たとえば安全地帯から火をつけて延焼を楽しんでいる放火魔のような発想なのかな、と。あるいは団地で子供が上の階のベランダから水風船を下に投げるいたずらのような感はある。いずれにしてもタチの悪い話には違いない。
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