取材費は払わない、払いたくないと「他人の力を借りる時には金銭は必要か」と

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先日の【「取材したい、その素材が欲しいけど報道だから無料で提供して」というご意見】の後日談的な話。当人は記者を名乗っているけれど、報道とかジャーナリストとか専門家とか有識者と同じで資格も要らないし文章を書ければ記者は自称できるので、法人格の報道界隈従事者であるか否かは定かではないのだけど(単なる釣りアカウントには見えなかったけどね)。

「あなたは他人の力を借りるときには金銭を支払うべきだと思っているのですか?」という問いには「そうだよ」の4文字で終わってしまう。加えれば「当たり前だよね」の7文字。


考えている事を大よそまとめてくれているので絡める形で。情報にしても物理的なものでもやり取りをする時には対価が必要。物々交換だと相手の需要にマッチするか否か調整が大変なので、多様性のある物差しとして存在している金銭が用いられる。というか、そもそもお金ってそういう使い方をするためのものだから。

例のラーメン漫画の有名なせりふ「ボランティアとか無料でやると無責任になる。お金のやり取りがなされてこそ、しっかりとした責任が発生する」とか、友達だから無料でちゃっちゃっとやっちゃってよというセリフを漫画家やデザイナーに放り投げるエピソードも合わせて思い出される次第。

お金ってのは価値の尺度でもある。尺度をゼロにして何かを要求しているってことは、その存在の価値を見出していないってことの表れでもあるのだな。「こんなものに金が払えるか」という言葉と同じなのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2017年5月16日 07:08に書いた記事です。

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